屋嘉比朝寄
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屋嘉比朝寄 | |
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生誕 |
1716年2月11日 琉球王国 首里 |
死没 |
1775年2月17日(59歳没) 琉球王国 首里 |
ジャンル | 琉球古典音楽 |
屋嘉比 朝寄(やかび ちょうき、1716年2月11日(尚敬4年1月19日) - 1775年2月17日(尚穆24年1月18日))は、琉球王国の音楽家。三線の楽譜「工工四」(くんくんしー)の考案者として知られており、その芸風は「当流」と呼ばれている。屋嘉比朝寄の作品は沖縄音楽の規範とされた。
生涯
[編集]1716年1月19日、首里において玉川按司朝雄(たまがわあじちょうゆう)の四男として生まれる。
幼時から音楽の才に秀で、青年の頃、尚敬王の命により薩摩藩に遊学して謡曲や仕舞を習得した。帰国後は、専ら謡曲の師として王家に仕え、謡曲と舞踊の普及に努めていたが、重い眼病を患って盲目となった。その後、三線の聞覚流の祖で湛水親方より4代目に当たる照喜名聞覚の弟子となって三線を学び、謡曲や日本俗曲を採り入れ、従来の歌唱法に改良を加えて新しい楽風を樹立するとともに、中国の記譜法を参考にしながら、漢字を使った独特の符号によって三線の音階(ツボ)を示す記譜法を編み出し、琉球譜である「屋嘉比工工四」を創案した。その楽風はのちに「当流」と呼ばれた。
作品
[編集]- 『屋嘉比工工四』(やかびくんくんしー)
- 『上り口説』(ヌブイクドゥチ)
後世への影響
[編集]屋嘉比朝寄が編み出した『屋嘉比工工四』は後世の沖縄音楽の規範となっており、現存する沖縄音楽最古の楽譜でもある。現代にも残る古典芸能の流派である「野村流」と「安冨祖流」も朝寄の流れを汲んでおり、沖縄古典音楽の基本的内容は朝寄により確立されたといえる。
親族
[編集]- 父:玉川按司朝雄
- 長兄:玉川王子朝計
- 次兄:小波津親方朝昆
- 三兄:渡嘉敷親雲上朝喜
- 妻:真伊奴(まいぬ、1721年 - 1755年) - 糸満里之子親雲上盛善と毛氏識名親方盛誠女思亀の次女
- 息子:朝邑(ちょうゆう)
- 娘:不明
弟子
[編集]屋嘉比朝寄には2人の高弟がいた。
- 豊原 朝典(とよはら ちょうてん、1740年 - 1803年)
- 真玉橋家七世の祖、朝正親方の四男家の後と伝わる。屋嘉比朝寄に学び知念績高に伝えた。
- 仲田 朝朗(なかた ちょうろう、1742年 - 1814年)
- 天才的な声楽家。『屋嘉比工工四』を編集し、『絃声の巻』を著す。
伝記
[編集]- 沖縄県教育庁文化課編『屋嘉比朝寄工工四』沖縄県教育委員会、1989年3月
参考文献
[編集]- 『沖縄の有形文化財III 有形文化財編』沖縄県教育委員会、1995年