屋比久翔平
表示
個人情報 | |||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
フルネーム | 屋比久 翔平 | ||||||||||||||
国籍 | 日本 | ||||||||||||||
生誕 | 1995年1月4日(29歳) 沖縄県名護市 | ||||||||||||||
居住地 | 神奈川県横浜市 | ||||||||||||||
身長 | 174cm | ||||||||||||||
体重 | 77kg | ||||||||||||||
スポーツ | |||||||||||||||
競技 | レスリング | ||||||||||||||
種目 | 男子グレコローマンスタイル77kg級 | ||||||||||||||
大学チーム | 日本体育大学 | ||||||||||||||
クラブ | ALSOK | ||||||||||||||
|
屋比久 翔平(やびく しょうへい、1995年1月4日[1] - )は、沖縄県出身のレスリンググレコローマンスタイルの選手。階級は77kg級。
来歴
[編集]沖縄県名護市生まれ[2]。1989年、1991年の全日本レスリング選手権大会の覇者で、1989年のレスリング世界選手権日本代表でもあった父・屋比久保と、1986年の国民体育大会でやり投の日本高校新記録(当時)を樹立した母・渡久山直美の間に生まれる[3][4]。父・保の影響を受け小学4年生からレスリングを本格的に始める[1][3]。
宜野湾市立嘉数中学校[5]、沖縄県立浦添工業高等学校、日本体育大学を経て日本体育大学大学院修士課程修了。修了後は綜合警備保障(ALSOK)に所属する[1]。2015年、全日本レスリング選手権で初優勝[2]。さらに2017年から3年連続でレスリング世界選手権に出場した[2]。2018年にはジャカルタ・アジア競技大会のレスリング競技・男子グレコローマン77kg級に出場し、5位入賞[6]。
2021年の東京オリンピック・アジア予選で銀メダルを獲得し、オリンピック出場権を得た[7]。2020年東京オリンピックのレスリング競技・男子グレコローマンスタイル77kg級では2回戦でハンガリーのタマシュ・レーリンツに破れたが、レーリンツが決勝に進出したため3位決定戦に進出した[1]。3位決定戦では2018年レスリングアジア選手権の覇者であるイランのモハンマダリ・ゲラエイに勝利し銅メダルを獲得した。沖縄県出身の選手がオリンピックでメダルを獲得するのは1992年バルセロナオリンピック体操男子団体で銅メダルを獲得した知念孝以来29年ぶりとなった[1]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e “レスリング屋比久が「銅」 沖縄出身で史上初の個人メダル”. 琉球新報デジタル. 2021年8月3日閲覧。
- ^ a b c “レスリング屋比久翔平が銅メダル…かなえた親子2代の夢”. スポーツ報知 (2021年8月3日). 2021年8月3日閲覧。
- ^ a b “オヤジのように愚直に前へ レスリング屋比久、夢背負って大舞台へ:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル (2021年8月2日). 2021年8月3日閲覧。
- ^ [http://ryukyushimpo.jp/archives/uploads/img4c4f84ad79c67.pdf “先輩から応援メ ッセージ”] (PDF). 琉球新報. (2010年7月28日) 2021年8月4日閲覧。
- ^ “嘉数中日記 第618回 令和3年7月9日|宜野湾市立嘉数中学校”. kakazu-j.ginowan-okn.ed.jp. 2021年8月3日閲覧。
- ^ “第18回アジア競技大会(2018/ジャカルタ)”. JOC. 2021年8月4日閲覧。
- ^ “屋比久翔平(ALSOK)が銀メダル、オリンピック出場枠を獲得…東京オリンピック・アジア予選/第1日(男子グレコローマン)”. www.japan-wrestling.jp. 日本レスリング協会. 2021年8月3日閲覧。
外部リンク
[編集]- 屋比久翔平 (@nssuw) - X(旧Twitter)