山中庄五郎
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山中 庄五郎(やまなか しょうごろう、享和2年(1802年) - 天保14年(1843年))は、江戸時代後期の一揆指導者[1]。
近江甲賀郡氏川原村(現:滋賀県甲賀市水口町宇川)の農家(元庄屋)[1]。
天保13年(1842年)、江戸幕府勘定方の市野茂三郎による検地増徴に反対し、野洲・甲賀・栗太3郡の農民約1万2000人が蜂起した近江天保一揆(甲賀一揆)を指導した一人である。検地は阻止されたが、同志の土川平兵衛らと共に捕えられ、江戸へ護送される途中で駿河の藤枝にて死亡し、正定寺に葬られた[1]。