山内佐太郎
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山内佐太郎(やまうち さたろう、1874年7月4日‐1945年11月1日)は、明治時代から昭和時代前期の教育者。従五位勲六等。兵庫県出身。
旧制宮津中学、旧制佐倉中学、旧制関西中学、旧制明石中学などの校長を歴任。兵庫師範学校(現在の神戸大学発達科学部)、東京高等師範学校研究科(現在の筑波大学大学院)卒。著書に「国民教育之精神」「米国教育概観」など。
旧制明石中学の校長時代に、当時まだおよその位置でしか分からなかった子午線について、天文学的に観測し正確に測定することを提唱した。そして京都大学の野満隆治博士に委嘱され測量され、その結果、子午線が通過する市町村は沢山あるなか、明石が「子午線のまち」と呼ばれることになった。
略歴
[編集]主な著書
[編集]- 『国民教育之精神』弘道館,大正4(1915) 国会図書館近代デジタルライブラリーで閲覧
- 『活教育』関西中学校,大正5(1916) 国会図書館近代デジタルライブラリーで閲覧
- 『米国教育概観』 弘道館,大正6 (1917) 国会図書館近代デジタルライブラリーで閲覧
- 『教育勅語五十周年記念 國士魂教育』
- 『満州建国十周年 慶典に参列して』
参考文献
[編集]- 『明中10年』明石中学校
- 『明石を科学する』神戸新聞明石総局編