山内保氏
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時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
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生誕 | 宝暦9年(1759年) |
死没 | 享和2年8月13日(1802年9月9日) |
改名 | 銀吾(幼名)→深尾重明→山内氏篤 |
別名 | 通称:九郎兵衛、掃部 |
主君 | 山内豊雍→豊策 |
藩 | 土佐藩 |
氏族 | 深尾家→宿毛山内家 |
父母 | 父:深尾苞実、養父:山内氏篤 |
兄弟 | 男子2人、保氏 |
妻 |
正室:山内氏篤娘・房 継室:深尾茂澄娘 側室:加藤氏娘 |
子 | 氏睦(三男)、氏固(五男) |
山内 保氏(やまうち やすうじ)は、江戸時代中期から後期にかけての土佐藩の重臣。8代宿毛領主。
略歴
[編集]宝暦9年(1759年)、深尾苞実の三男として高知にて誕生した。
安永2年(1774年)、宿毛7代領主・山内氏篤の婿養子となる。天明6年(1786年)、氏篤の隠居により、家督と知行6800石を相続して宿毛8代領主となる。同年、9代藩主・山内豊雍より奉行職に任じられる。天明8年(1788年)、病により職を辞す。寛政元年(1789年)、幕府諸国巡見使池田政貞を領内に迎える。
享和2年(1802年)、死去。享年44。家督は三男の氏睦が相続した。