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山内範造

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

山内 範造(やまうち はんぞう、1865年5月6日(慶応元年4月12日[1][2][3])- 1945年昭和20年)3月17日[4])は、明治から昭和前期の農業経営者、銀行家政治家衆議院議員福岡県筑紫郡筑紫村長。曾孫は元衆議院議員山内康一[5]

経歴

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筑前国御笠郡、のちの福岡県[4]筑紫郡筑紫村[6][7][8](筑紫野町を経て現筑紫野市)で、山内伊七郎、タヨの長男として生まれる[2][3]。漢学を修めた[4][6]。1894年(明治27年)3月に家督を相続し[2][3]農業を営む[4]。筑紫郡農会特別議員、福岡県農会特別議員、同評議員、帝国農会議員、同評議員、地方森林会議員などを務めた[3][4][8]

1897年(明治30年)筑紫村長に就任[3][6][8]。1904年(明治37年)筑紫郡会議員となり同参事会員も務めた[3][6][8]。1915年(大正4年)3月、第12回衆議院議員総選挙に福岡県郡部から立憲政友会所属で出馬して初当選[9]。1917年(大正6年)4月の第13回総選挙(福岡県郡部、立憲政友会)[10]、1924年(大正13年)5月の第15回総選挙(福岡県第11区、立憲政友会公認)でも再選され[11]、衆議院議員に通算3期在任した[4]

実業界では、筑紫銀行頭取、住吉銀行取締役を務めた[2][3][4][7][8]

脚注

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  1. ^ 衆議院『第三十六回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1915年、26頁。
  2. ^ a b c d 『人事興信録 第4版』や52頁。
  3. ^ a b c d e f g 『大衆人事録 昭和3年版』ヤ60頁。
  4. ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』673頁。
  5. ^ 山内康一ブログ「落選して残念だったこと:筑紫丘高校同窓会顧問を辞退」”. 2020年6月29日閲覧。
  6. ^ a b c d 『現代日本の政治家』政友会141-142頁。
  7. ^ a b 『新代議士名鑑』454頁。
  8. ^ a b c d e 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』469頁。
  9. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』74頁。
  10. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』98頁。
  11. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第15回』30頁。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
  • 細井肇『現代日本の政治家』國光社、1916年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
  • 加藤紫泉『新代議士名鑑』国民教育会、1924年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第15回』衆議院事務局、1926年。
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 昭和3年版』帝国秘密探偵社、1927年。
  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。