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山内豊政

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

山内 豊政(やまうち[1] / やまのうち[2] とよまさ、1871年5月29日(明治4年4月11日[1]) - 1955年昭和30年)10月18日[1][2])は、明治から昭和期の政治家華族貴族院男爵議員南邸山内家3代当主。

略歴

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土佐藩南邸山内家2代当主・山内豊積(10代藩主山内豊策五男・山内豊著の三男)の長男として生まれる[1][3][4]。父の死去に伴い、1895年(明治28年)1月8日に男爵を襲爵した[1][4][5][6]

学習院高等科和仏法律学校(現・法政大学)を修了[2]1896年(明治29年)12月、一年志願兵として歩兵第22連隊に入隊し、1899年(明治32年)2月、陸軍歩兵少尉に任官し、1905年(明治38年)後備役となる[4][5]

1904年(明治37年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され[7][8]公正会に所属して活動し[2]1925年(大正14年)7月9日まで3期在任した[2]

墓所は青山霊園1-イ3-1。

栄典

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親族

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k 『平成新修旧華族家系大成 下巻』772-773頁。
  2. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』87頁。
  3. ^ 『人事興信録』第14版 下、ヤ54頁。
  4. ^ a b c 『大日本華族大鑑』157頁。
  5. ^ a b 『華族畫報 下』776頁。
  6. ^ 『官報』第3456号、明治28年1月9日。
  7. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、14頁。
  8. ^ 『官報』第6324号、明治37年7月29日。
  9. ^ 『官報』第1317号「叙任及辞令」1931年5月23日。
  10. ^ 人間 国崎定洞 - 加藤哲郎 (政治学者)研究室

参考文献

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  • 筒井住蓮編『大日本華族大鑑』都通信社、1911年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。
  • 杉謙二編『華族畫報』下、吉川弘文館、2011年(華族画報社大正2年刊の複製)。


日本の爵位
先代
山内豊積
男爵
(南邸)山内家第2代
1895年 - 1947年
次代
華族制度廃止