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山内 道慶(やまのうち みちよし、元禄8年(1695年)5月 - 安永7年3月2日(1778年3月30日))は、江戸時代中期の養蚕家[1]。通称は甚之丞[1][2]。同じく養蚕家の山内道恒は子[2]。
仙台藩領陸奥本吉郡入谷村の肝煎[1]。当時養蚕業の先進地であった伊達郡で養蚕技術を学び、養蚕の奨励を仙台藩に進言しその普及に努めた[1][2]。養蚕業の普及のみならず、私財を擲っての道路の整備、窮民の救済などにも努め、終身苗字帯刀をゆるされた[2]。
大正13年(1924年)、従五位を追贈された[3]。