山口小一
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山口 小一(やまぐち こいち、1841年3月29日(天保12年2月7日[1][2])- 1911年(明治44年)8月27日[3])は、幕末の佐賀藩武雄領主・武雄鍋島家家臣、明治期の政治家。衆議院議員。
経歴
[編集]肥前国杵島郡武雄村小楠(現佐賀県武雄市)で武雄鍋島家家臣(足軽)の家に生まれる[4]。幕末には名誉とされていた武雄領の時報役[注 1]を務めた[4]。戊辰戦争では主君鍋島茂昌に従い羽州を転戦した[3]。
その後、武雄軍団所史生、副戸長を務め[3]、1880年、長崎県会議員に当選[4]。1883年、佐賀県会議員に選出され、1887年、鎌田景弼佐賀県知事により抜擢され佐賀県属・土木課副長に就任[3][4]。その後、退官して県会議員に復帰し、1902年、県会議長に就任した[4]。
1904年3月、第9回衆議院議員総選挙おいて佐賀県郡部から出馬して当選し、立憲政友会に所属して衆議院議員を一期務めた[4][3]。
以後、農業を営みながら、組合村会議員、武雄町会議員、学務委員、地方森林会議員、杵島郡会議員、同議長、郡農会議員などを歴任した[1][3]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 時報の太鼓を鳴らす役目で、佐賀藩領内では佐賀本藩と武雄領のみに置かれ、毎日九つ(正午)、八つ(午後二時)、七つ(午後四時)に時報を知らせた。『武雄市史』下巻、481頁。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『佐賀県大百科事典』佐賀新聞社、1983年。
- 武雄市史編纂委員会編『武雄市史』下巻、武雄市、1973年。