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山口松山堂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
山口松山堂株式会社
種類 株式会社
本社所在地 028-5301
岩手県二戸郡一戸町西法寺字稲荷8-1
設立 1967年
業種 食料品
事業内容 駅弁製造・販売
代表者 代表取締役社長 山口恵美子
特記事項:2007年3月31日閉店[1]
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山口松山堂株式会社(やまぐちしょうさんどう)は、岩手県二戸郡一戸町にある一戸駅駅弁を製造・販売する会社だった。2007年3月31日閉店[1]

沿革

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1931年(昭和6年)4月1日に仙台鉄道管理局より一戸駅での構内営業が許可され、駅弁の製造販売を開始した。

1960年代の前半頃に現在まで続く名物駅弁である「ロースカツ弁当」の製造・販売が開始された。1967年(昭和42年)には山口松山堂株式会社が設立された。

1970年代から1980年代にかけては、一戸駅構内営業のほか、北福岡駅(現・二戸駅)、金田一駅(現・金田一温泉駅)構内営業(立ち食いそば屋)や国道4号沿いにレストハウス「馬仙峡」なども経営していた。また1990年代前半まではエル特急はつかり」や急行八甲田」の車内でも駅弁販売を担当していた。その後、車内事業者が日本食堂(現・NRE)に統合されたが、「はつかり」の一戸駅での「ロースカツ弁当」の積み込みは残され、名物駅弁として旅行者に愛された。

2002年(平成14年)12月1日東北新幹線盛岡駅八戸駅間の開業により、「はつかり」が一戸駅に停車しなくなることから存続が危ぶまれたが、多くの愛好者の要望で、二戸駅から新幹線「はやて」を積み込みを行うことになり、車内販売が存続された。しかし一戸駅の頃とは違い、二戸駅まで輸送しなければならないため、最低2人の運転手を雇わなければならず、人件費が重なり2年連続で赤字を計上。更には製造をメインで担当する店主氏が体調を崩したため、2005年(平成17年)12月10日のJR東日本ダイヤ改正に合わせて二戸駅での積み込みを中止し、日本鉄道構内営業中央会を退会した。

末期は店主と従業員1名で、駅売りはせず、一戸駅から徒歩3分の所にある「山口松山堂」で注文すると「ロースカツ弁当」を味わうことができた。IGRいわて銀河鉄道線を利用して、訪れる旅行者も多かった。

2007年3月31日に廃業した[1]が、実際には材料が残っていたため4月2日まで営業は行われた。

廃業後もしばらく店舗は残っていたが後に解体撤去され、2015年現在は一般民家と駐車場になっている。

製造していた駅弁

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  • ロースカツ弁当
  • トンカツ弁当
  • みちのくふるさと弁当
  • みちのく自然米辨当
  • 幕の内弁当
  • 山菜もちごめ弁当
  • 啄木弁当
  • うなぎ弁当
  • ハンバーグ弁当
  • すき焼き弁当

販売していた箇所

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  • 山口松山堂本店(一戸駅通り「一戸名物トンカツ弁当」の看板が目印)
    • 現在、店舗は撤去された。
  • 一戸駅キヨスク( - 2002年頃)
  • 二戸駅キヨスク(2002年 - 2005年頃)
  • 特急「はつかり」車内販売(一部列車が一戸駅で積み込み、 - 2002年)
  • 急行「八甲田」車内販売(青森行の一戸 - 八戸間)
  • 新幹線「はやて」車内販売(一部列車が二戸駅で積み込み、2002年 - 2005年)

脚注

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  1. ^ a b c “「懐かしの味」に幕 全国にファン 一戸・山口松山堂のロースカツ弁当”. 岩手日報 (岩手日報社): p. 23. (2007年3月31日)