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山吉豊守

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
山吉 豊守
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 大永5年(1525年
死没 天正3年(1575年)または天正5年(1577年
別名 豊盛、孫次郎、孫二郎
官位 丹波?
主君 上杉謙信
氏族 桓武平氏頼盛流山吉氏
父母 父:山吉政応[1][2]または山吉政久[3]
母:高梨頼宗
兄弟 直江景綱継室、豊守
正室:本庄実乃
盛信景長(景盛)
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山吉 豊守(やまよし とよもり)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将上杉氏の家臣。越後国三条城主。

略歴

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大永5年(1525年)、山吉政応あるいは山吉政久の子として誕生。『山吉家家譜』によれば天文21年(1552年)4月、父・政久の隠居により家督を継いだとされる。

永禄末年から御奏者として上杉謙信の側にあり、関東の諸豪族や後北条氏とも折衝した。天正年間の『上杉家軍役帳』では、家中筆頭の軍役数377名を持った。謙信の越中国出陣の際は、春日山城の留守居を務めた。

天正3年(1575年)同5年(1577年)頃に死去。嫡男・盛信が家督を継ぐが間もなく急死したため、盛信の弟・景長(景盛)が跡を継ぐが、相次ぐ当主の死と景長が若年のため、減封のうえ木場城に領地替えとなった。

脚注

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  1. ^ 『山吉系図』
  2. ^ 『上杉御年譜』
  3. ^ 『山吉家家譜』

出典

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  • 『山吉系図』
  • 『上杉御年譜』
  • 『山吉家家譜』
  • 『上杉家軍役帳』