山名豊就
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 貞享3年9月26日(1686年11月11日) |
死没 | 延享4年8月26日(1747年9月30日) |
改名 | 豊郷(初名)→豊就 |
別名 | 斧之助、彦太郎、中務(通称) |
戒名 | 大圓院殿暁山道清大居士 |
墓所 | 兵庫県美方郡香美町村岡区村岡の法雲寺(坪谷御廟) |
官位 | 従五位下因幡守 |
幕府 | 江戸幕府 交代寄合(大番頭、寺社奉行) |
主君 | 徳川綱吉→家宣→家継→吉宗→家重 |
藩 | 但馬村岡領主 |
氏族 | 山名氏 |
父母 |
父∶山名義豊 養父∶山名隆豊 |
妻 | 屋代忠位娘 |
子 |
豊寛、豊暄、豊知、豊陽、喜蔵、佐助、 季豊、山名義安室ら |
経歴
[編集]山名氏一族の山名義豊の三男(山名豊政の孫)。山名隆豊の養子となった。宝永元年(1704年)、養父の隠居により家督を相続した。大番頭を勤めた後、元文4年(1739年)3月15日、寺社奉行に就任し、没するまでその任を勤めた。同年10月、領内で小代一揆(元文一揆)が起ったが、百姓の多くの要求を聞き入れたため解決した。延享4年(1747年)に62歳で死去し、嫡男の山名豊暄が家督を継いだ。
系譜
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娘は3人いた。娘の一人は高家旗本の六角広雄と婚約したが、入嫁前に広雄が死去したことにより縁談は消え、一門(分家)旗本の山名義安の室となった。末子の季豊は、旗本・高林昌雄の養子となり、高林昌盈と改名し、のちに家督を相続した。