山岡薬医
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山岡 薬医(やまおか やくい、生没年不詳)は、戦国時代の武将。吉良氏の郎党 [1]。
略歴
[編集]吉良義昭に仕え、永禄4年(1561年)善明堤の戦いに従軍した。4月15日、尾崎修理の放った矢に当たって深手を負った松平好景に走り寄り、その首を討ち取った [2] [3]。
脚注
[編集]- ^ 六ツ美村是調査会 1926, p. 618.
- ^ 早稲田大学出版部 1913, p. 142.
- ^ 愛知県西尾市 1973, p. 271.
参考文献
[編集]- 『六ッ美村誌』(六ツ美村是調査会 1926年、618p)
- 『通俗日本全史第9巻』(早稲田大学出版部、1913年、142p)
- 『西尾市史: 古代・中世・近世(上)』(愛知県西尾市 、1973年、271p)