山岸紀郎
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山岸 紀郎(やまぎし のりお、1943年2月11日[1] - 2011年7月15日)は、日本の元バレーボール審判員、日本バレーボール協会専務理事、初代Vリーグ機構代表理事(会長)。
人物
[編集]日本体育大学出身。日本人として初めて国際バレーボール連盟のFIVB公認レフリーとなり、1986年の世界選手権の男子決勝の主審を務めたほか、1988年と1992年のオリンピックでも国際審判団の一員として参加した。
一方日本国内では、1995年4月より日本バレーボール協会の理事、専務理事や日本バレーボールリーグ機構の代表理事(会長)などを歴任した。また日本におけるビーチバレー生みの親とも言われ[2]、1996年のアトランタオリンピックではビーチバレー日本男子代表監督を務めた[3]。
また、立教新座高等学校教諭としてバレーボールの指導も行っていた。その為、立教大学体育会バレーボール部OB会の特別会員でもあった[4]。
2011年7月15日、胆管がんのために死去[5]。68歳没。
著書
[編集]- 『詳解 6人制バレーボールのルール―ルールの解説と審判法』 山岸、河村俊彦、佐々木宏共著 監修:砂田孝士 発行:大修館書店 1990年7月10日発行 ISBN 4-469-26185-8
- 『詳解 9人制バレーボールのルール―ルールの解説と審判法』 山岸、志村栄一共著 発行:大修館書店 1990年7月10日発行 ISBN 4-469-26186-6
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 【訃報】日本バレーボール協会元専務理事 山岸紀郎さん(68歳)逝去 - 日本バレーボール協会