山崎次郎
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山崎 次郎(やまさき じろう、1880年(明治13年)1月21日[1] - 1958年(昭和33年)10月29日)は、日本の外交官。駐アルゼンチン公使。
経歴
[編集]静岡県に会田和保の二男として生まれ、山崎金重の養子となった[1]。1906年(明治39年)、東京帝国大学を卒業し、法科大学法律学科仏蘭西法兼修。
翌年に外交官及領事官試験合格した[1]。領事官補として広州、牛荘に、外交官補としてスペインに勤務した[2]。さらにリヨン領事、アメリカ合衆国大使館三等書記官、アルゼンチン公使館二等書記官、同一等書記官、同代理公使、外務書記官・通商局総務課長、翻訳課長、会計課長、在ソビエト連邦日本国大使館参事官、ブラジル大使館参事官を歴任した[1][2]。
1918年(大正7年)7月10日、ブエノスアイレス着任。臨時代理公使(常駐公使館開設)、その後アルゼンチンと深い関わりを持った。
1928年(昭和3年)に駐アルゼンチン公使となり、駐パラグアイ公使・駐ウルグアイ公使も兼ねた[1]。
1936年退官[3]。
妻いそ(旧姓・下位)との間に担(1919年生まれ)。担の岳父は建築家の中村與資平 [4]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。