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山本主殿

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
山本 主殿
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 天正6年(1578年
死没 文禄4年7月15日1595年8月20日
主君 豊臣秀次
氏族 山本氏
父母 父:山本主殿
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山本 主殿(やまもと とのも)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将豊臣秀次家臣

生涯

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父は同姓同名の山本主殿。織田信長に仕えた西岡十六党の1人で、細川藤孝に属して山城国淀城攻めに参加した人物である[1]

豊臣秀次に仕え、文禄4年(1595年)7月に秀次事件が発生すると、小姓衆の1人として秀次に従って高野山に赴く。7月15日に秀次が自害する際、秀次に殉じて切腹し、秀次により介錯された[2]享年18[3]

脚注

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