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山本佳司

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

山本 佳司(やまもと けいじ、1963年11月21日 - )は、滋賀県甲賀市出身の元アマチュアレスリング選手、サッカー指導者。滋賀県立野洲高等学校保健体育科教諭で同校のサッカー部総監督を務めている。

来歴

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日本体育大学時代はレスリングの選手として活躍。卒業後の1986年、ドイツケルン体育大学に留学し、そこでサッカーと出会う。当時マスコミは素人監督の快挙と持て囃したが、中学時代はサッカー部で活躍した。高校、大学とレスリング部ではあるが、満更素人でもなかったという話である「同級生談より」[要出典]

帰国後、水口東高校を経て、1996年に野洲高校に赴任。就任当時、無名で部員数16人しかいなかったサッカー部を、2002年の高校選手権に初出場でベスト8に導く。同年にはU-17日本代表コーチも務めた。

翌2003年には、山本のオファーを受けたセゾンFC総監督の岩谷篤人がコーチに就任。セゾンに通っていた楠神順平青木孝太乾貴士田中雄大らが岩谷を追って野洲高校に入学すると、2度目の出場となった2006年の高校選手権で初優勝を達成[1]。テクニックを全面に押し出した「セクシーフットボール」で旋風を巻き起こした[2]

2007年12月より『サッカー批評』でコラム「世界への情熱」を連載開始。

部員への暴力

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2015年12月28日、高校選手権出場のために滞在していた都内のホテルにて、男子部員2名へ暴力を振るったことが発覚。それを受けて翌年2月に監督を辞任するも、学校が保護者に対し謝罪や説明をした結果、6月より総監督として復帰した。なお同年の高校選手権では、県大会ではベンチ入りしたものの、全国大会ではスタンドから観戦している[3]。また2016年3月24日付で、滋賀県教育委員会から厳重文書訓告を受けている[4]

脚注

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  1. ^ 野洲サッカーを育てた異端の指導者、岩谷篤人が挑む"最後の選手権"。 Number Web
  2. ^ ゾーンに入ると、乾貴士は微笑む。伝説の“セクシーフットボール”再び。 Number Web
  3. ^ 野洲また1回戦で消えた… かつての王者2年連続屈辱 スポニチアネックス
  4. ^ 高校サッカー強豪校“異端の指導者”の体罰が発覚!「部員を自由にさせすぎて、コントロール不能に……」 エキサイトニュース