山本博 (新聞記者)
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山本 博(やまもと ひろし、1942年12月13日[1] - 2013年7月4日)は、北海道新聞や朝日新聞で新聞記者として活動した日本のジャーナリスト[2][3]。リクルート事件の取材で指揮を執るなど、「調査報道」の第一人者と評された[2][4]。
経歴
[編集]北海道新聞の記者として、特ダネを多くものにし、引き抜かれる形で[3]1970年に朝日新聞社に入社した[7]。朝日新聞では、横浜支局次長[7]、東京本社社会部デスク、名古屋本社社会部部長などを歴任した[2][3]。
東京社会部時代に新聞協会賞を2回受賞している[7]。
2000年から2008年にかけて朝日学生新聞社社長を務めた[5]。
2000年代には、東京経済大学大学院で非常勤講師として教鞭を執った[8]。
2013年7月4日、心不全のため死去[1]。
「調査報道」の定義
[編集]山本は、2001年に『新聞研究』に寄稿した論文で、「調査報道 (investigative reporting) とは、あえて定義づければ、当局に依拠しないで報道機関の責任で独自に調査・取材し、権力悪を追及することである」と調査報道を定義づけた[4][8][9]。この論文を含め、調査報道についての山本の見解を整理した小俣一平は、山本の説く調査報道の要素として「(1) 自分(あるいはチーム)が書かなければ、日の目を見ない事実。(2) 権力、権威ある部署、企業などが隠したがる事実。(3) 発表に頼らず自らの調査能力で発掘する事実。(4) その事実を新聞掲載によって暴露し、社会に知らしめる。」という4点があると述べている[10]。
著書
[編集]共著
[編集]脚注
[編集]- ^ a b 『現代物故者事典2012~2014』(日外アソシエーツ、2015年)p.627
- ^ a b c “元朝日新聞記者・山本博さん死去 「調査報道」の第一人者”. J-CAST (2013年7月6日). 2020年1月29日閲覧。
- ^ a b c “烏賀陽弘道×窪田順生の“残念な新聞”(2):朝日新聞が、東大卒を採用する理由 (4/4)”. アイティメディア (2011年4月6日). 2020年1月29日閲覧。
- ^ a b 小俣一平「「発展型調査報道」についての一考察 朝日新聞・FD 改ざんスクープを中心に」(PDF)『東京都市大学環境情報学部紀要』第12号、東京都市大学環境情報学部、2011年、41頁、2020年1月29日閲覧。
- ^ a b “新聞は真実を伝える前照灯 大人の新聞を読む 3 ジャーナリスト 山本博さんに聞く”. 朝日学生新聞社. 2020年1月29日閲覧。
- ^ “調査報道がジャーナリズムを変える”. 紀伊國屋書店. 2020年1月29日閲覧。
- ^ a b c “山本博さん死去 リクルート報道を指揮”. 朝日新聞・朝刊: p. 38. (2013年7月6日) - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
- ^ a b 小俣一平「「調査報道」の社会史 第2回 「調査報道」と「特別調査報道」」(PDF)『放送研究と調査』第59巻第3号、NHK放送文化研究所、2009年、36頁、2020年1月29日閲覧。
- ^ 山本博「調査報道とは何か リクルート事件報道から得た教訓」『新聞研究』第596号、日本新聞協会、2011年、24頁。
- ^ 小俣一平「「調査報道」の社会史 第1回 調査報道とは何か」(PDF)『放送研究と調査』第59巻第2号、NHK放送文化研究所、2009年、17頁、2020年1月29日閲覧。