コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

山本精一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
山本精一
出生名 山本篤宣
生誕 (1958-07-16) 1958年7月16日(66歳)
日本の旗 日本兵庫県尼崎市
学歴 関西大学社会学部卒業
ジャンル
担当楽器
活動期間 1979年 -
レーベル
共同作業者
公式サイト official web site

山本 精一やまもと せいいち 、本名:山本篤宣、1958年7月16日 - )は、日本ミュージシャン文筆家画家兵庫県尼崎市出身。関西大学社会学部卒業。

概要

[編集]

世界的な評価を得ている大阪のオルタナティヴ・ロック・バンドボアダムスに中心メンバーとして1986年 - 2002年まで在籍。現在は、日本の人力トランスバンドのパイオニアROVO、Phewとのミニマル・パンクバンドMOSTムーンライダース岡田徹とのポップユニットya-to-iなど、多くのユニットで主に作曲、編曲を担当。

文筆家としても活動しており、様々なメディアへの評論、文芸雑誌等へのエッセイ小説の寄稿も行なっている。雑誌ギターマガジンに連載していたコラムをまとめた書籍がこれまでに3冊発行されている。また、大阪市浪速区のライブハウス「難波ベアーズ」の店長を1987年から現在まで務めており、関西インディーズシーンの重要人物である。アルケミーレコード非常階段のリーダーとして知られるJOJO広重には、「極めつけな変人」と称される。高校野球観戦、漫画、写真、絵画、骨董収集など多彩な趣味を持つ。近年では、ほぼすべてのアルバムのジャケット写真を自ら撮影している。また、定期的にアートギャラリーで画展を開催している。

音楽性

[編集]

現在に至るまでアヴァン・ポップの最前衛の一人であるが、いわゆる「アバンギャルド」の範疇にいる音楽家ではない。フォーク、ノイズ、音響、パンク、トランス、実験音楽、即興といった様々なジャンルを横断したスタイルで音楽活動を行なうため、参加ユニットによりその音楽性もまったく異なる。楽器は主にギターパートを務め、想い出波止場、PARA、PSYCHEDELIC JET SETSなど自身がリーダーをつとめるユニットも多数存在する。また、羅針盤および山本精一&THE PLAYGROUNDではボーカルも兼任する。映画音楽を担当することもあり、『アドレナリンドライブ』、『殺し屋1』、『マインド・ゲーム』、『TOKYO LOOP』(オムニバス/2006年)などで知られる 。

経歴

[編集]
  • 1986年 田畑満の後任として、山塚アイハナタラシ)率いるボアダムスに参加。
  • 1987年 難波ベアーズ店長就任。ボアダムス主催のライブイベントで想い出波止場結成。当初はフォーク・ロックを基調とした歌モノバンドであった。
  • 1988年 羅針盤結成。
  • 1993年 大友良英PhewらとNOVO TONO結成。
  • 1994年 山本プロデュースのスカムショー、「水道メガネ殺人事件」公演。松本亀吉豊田道倫などが出演。
  • 1995年 勝井祐二とともにROVOの原型となる太陽の塔を結成。
  • 1996年 ムーンライダーズの岡田徹、サロン・キティの伊藤俊二とya-to-iを結成。
  • 1997年 ラブクライの三沢洋紀とともにUmmo Recordsを設立。多数のインディーズ・ミュージシャンのCDをリリースする。
  • 1999年 リットーミュージックより初のエッセイ集「ギンガ」を出版。
  • 2000年 PhewとともにパンクバンドMOSTを結成。
  • 2001年 PARA結成。フジロックフェスティバルでボアダムスのライブに出演以降、山本はボアダムスのライブに出演していない。本人曰く「やめると言ったこともないし、やめたという気もない。EYEから電話がかかってこない」とのこと。
  • 2005年 チャイナ逝去により羅針盤解散。
  • 2009年 想い出波止場の全アルバム、羅針盤の初期アルバムがリイシュー。
  • 2010年 羅針盤解散以降初となる「うたもの」アルバム『PLAYGROUND』をリリース。

ソロ・ディスコグラフィー

[編集]
  • NOA(1998)
  • NOA2(2001)
  • Crown of Fuzzy Groove(2002)
  • Nu Frequency(2003)
  • なぞなぞ(2003)
  • Baptism(2004)
  • EVE(2005)
  • TOKYO LOOP オリジナル・サウンドトラック(2006)
  • PLAYGROUND(2010)
  • PLAYGROUND Acoustic+(2011)
  • ラプソディア(2011)
  • カバー・アルバム第一集(2013)
  • LIGHTS(2013)
  • ファルセット(2014)
  • 童謡(わざうた)(2015)
  • cafe brain(2020)
  • selfy(2020)

書籍

[編集]
  • ギンガ(1999)
  • ゆん(2008)
  • イマユラ(2014)

参加ユニット

[編集]

ボアダムス

[編集]

1986年 - 2001年まで参加。

想い出波止場

[編集]

羅針盤

[編集]

ROVO

[編集]

赤武士

[編集]

1993年に結成されたハードコア・パンク・バンド。「武士パンク」をコンセプトにしたアルバムを殺害塩化ビニールよりリリースしている。

LIVE UNDER THE SKY

[編集]

1993年に結成されたインストゥルメンタル・フュージョン・バンド。メンバーは山本精一、藤原弘明(Subvert Blaze)、岡野太。

NOVO TONO

[編集]

1994年に結成されたオルタナティブ・ポップスバンド。一枚のアルバムを残し現在は実質的に活動休止中。メンバーはPhew、山本精一、大友良英江藤直子、西村雄介、植村昌弘。

ya-to-i

[編集]

1996年に結成されたポップスユニット。女性ボーカルをフィーチャリングしたエレクトロポップ・アルバムをリリース。メンバーは山本精一、岡田徹ムーンライダーズ)、伊藤俊二(サロン・キティ)。2013年、じゅんじゅん(MAHOΩ)、柴田聡子をゲストボーカルに迎え新作を発表した。

Guitoo

[編集]

1997年に結成されたギター・デュオ。エフェクトをかけたツインギターによる掛け合いを披露する。メンバーは山本精一、ブラボー小松。

SUN KICH

[編集]

山本精一と吉田達也によるノイズ・ユニット。山本の「山」と吉田の「吉」から名付けられた。

CHAOS JOCKEY

[編集]

2000年に結成されたノイズ・バンド。強烈なノイズ・ギターとドラムによるセッションを展開する。メンバーは山本精一、茶谷雅之(MOST)。

MOST

[編集]

2000年に結成されたパンクバンド。スラップ・ハッピー来日公演の前座として山本とPhewが出演した際にパンクナンバー「ひとのにせもの」を演奏したことから結成。数枚のアルバムをリリース。メンバーはPhew、山本精一、山本久土、西村雄介、茶谷雅之。

PARA

[編集]

2001年に結成されたインストゥルメンタル・バンド。山本と羅針盤のチャイナにより活動開始。「数学的構築性に基づく室内楽的グルーブの追求」をコンセプトとしている。メンバーは山本精一、家口成樹(花電車)、YOSHITAKE EXPE(nutron)、西滝太(SUSOERIA)、千住宗臣(ウリチパン郡、DCPRG)。チャイナは急逝後も「Soul」としてクレジットされている。[1]

山本精一と不思議ロボット

[編集]

メンバーは山本精一、チャイナ、吉田正幸。STUDIO4℃による映画マインド・ゲームやアニメきまぐれロボットのサウンドトラックを担当。

THE WORLD HERITAGE

[編集]

2005年頃に結成されたインストゥルメンタル・バンド。即興演奏を主体としたセッションを展開する。メンバーは吉田達也RUINS高円寺百景)、ナスノミツル勝井祐二(ROVO)、鬼怒無月山本精一

ナンバジャズ

[編集]

芳垣安洋(ROVO)と山本精一の即興デュオ。「ナンバ歩き」が名前の由来。

山本精一&アシッド・マザーズ・テンプル

[編集]

想い出波止場の津山篤が在籍するAcid Mothers Templeとの合体ユニット。サイケデリックをテーマとした即興演奏を披露し、『メガサイケ』『ギガサイケ』などのライブ盤をリリースしている。

山本精一 & THE PLAYGROUND

[編集]

メンバーは山本精一(Vo,G)、千住宗臣(Dr)、須原敬三(B)。『PLAYGROUND』のレコ発ライブに伴い結成。以降、『ラプソディア』『ファルセット』など山本の「うたもの」レパートリーを演奏する際のバックバンドとして活動。

TRANSPARENTZ

[編集]

山本精一、日野繭子(C.C.C.C、DFH-M3)、HIKO(GAUZE)、isshee(共犯者、阿部怪異、Filth)によるノイズバンド。2013年より始動。

この他にもオムニバスアルバムの参加やライブイベントのために突発的に結成されたユニットが多数存在する。

関連項目

[編集]

参考文献

[編集]
  • indies issue vol.59「特集:山本精一」

脚注

[編集]

注釈

[編集]

出典

[編集]
  1. ^ PARA - アーティスト情報 - P-VINE Inc.”. 2019年12月6日閲覧。

外部リンク

[編集]