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山本良吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
山本 良吉
人物情報
生誕 (1871-11-22) 1871年11月22日
日本の旗 日本石川県金沢市
死没 1942年7月12日(1942-07-12)(70歳没)
出身校 帝国大学選科
学問
研究分野 倫理学
研究機関 第三高等学校学習院旧制武蔵高等学校
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山本 良吉(やまもと りょうきち、1871年11月22日明治4年10月10日[1] - 1942年昭和17年)7月12日)は、日本倫理学者教育者[2]。号は「晁水」。

経歴

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出生から修学期

1871年、石川県金沢市鶴間谷で生まれた[3]。石川県専門学校および後身の第四高等中学校に学ぶも中退。中学校では鈴木大拙西田幾多郎藤岡作太郎と同窓であった[4]帝国大学文科大学哲学科選科に入学し、1895年に修了[4]

教員時代

同1895年に京都府立尋常中学校教諭に就いた。1897年に静岡県尋常中学校教諭となり、修身ならびに英語を担当[5]

1900年に京都府立第二中学校教頭となった。1908年に京都帝国大学学生監。1909年第三高等学校教授を兼任し、倫理学を講じた。1918年に学習院教授・寮長となった[6]

1922年に創立された旧制武蔵高等学校教頭に就任し、1936年に同校第3代校長に就任した[7]

1942年7月12日に死去[8]。7月18日に旧制武蔵高等学校新校長に就任した山川黙[9]のもと「故山本校長校葬儀」が行われた[10]

著作

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著書
  • 『新國民作法』山本良吉著 教育研究会 1936
  • 『国民の教養』山本良吉著 武蔵高等学校 1942
  • 『晁水先生遺稿』山本良吉著、内田泉之助ほか編 故山本先生記念事業会 1951
  • 『晁水先生遺稿』山本良吉著、川崎明編 山本先生記念会 1966
  • 『國民の教養』山本良吉著 武蔵高等学校同窓会 1981
  • 鈴木大拙未公開書簡』鈴木大拙井上禅定禅文化研究所編 禅文化研究所 1989
  • 『大拙宛山本良吉書簡』山本良吉著 禅文化研究所 1989[11]
  • 明治大正教師論文献集成』山本良吉・金井十郎平著 ゆまに書房 1991
  • 『祖父・山本良吉訪欧日記:1920-21年』山本良吉原著、尾形健著 日本放送教育協会 1995

外部リンク

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脚注

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  1. ^ 山本 良吉 - Webcat Plus”. webcatplus.nii.ac.jp. 2023年6月1日閲覧。
  2. ^ 日本人名大辞典+Plus, デジタル版. “山本良吉(やまもと りょうきち)とは”. コトバンク. 2019年7月15日閲覧。
  3. ^ 金沢ふるさと偉人館
  4. ^ a b 山本 良吉「と」武蔵高等学校”. 2023年9月14日閲覧。
  5. ^ 『静中・静高同窓会会員名簿』平成15年度(125周年)版 40頁。
  6. ^ 金沢ふるさと偉人館”. 2023年9月14日閲覧。
  7. ^ 山本 良吉|根津育英会武蔵学園”. www.musashigakuen.jp. 2019年7月15日閲覧。
  8. ^ 中学校時代より親しかった西田幾多郎は訃報に接して2首を残している。「君ありと思へば心安かりき相見ることの稀なりし日も」「君去りて誰と語らむかずかずの思まつはるこの頃の世や」
  9. ^ 山川健次郎の甥。
  10. ^ 4.山本良吉と日本帝国の亡霊
  11. ^ 石川県西田幾多郎記念哲学館(山本良吉)