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山本草二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

山本 草二(やまもと そうじ、1928年(昭和3年)2月25日 - 2013年(平成25年)9月19日)は、日本法学者。専門は国際法学位は、法学博士東京大学・1969年)(学位論文「宇宙通信の国際法-国際企業の法形態として-」)。東北大学名誉教授。国際海洋法裁判所裁判官。長野県上田市出身。長男は外交官山本条太[1]

経歴

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  • 1940年(昭和15年)4月:旧制神奈川県立横浜第三中学校入学
  • 1947年(昭和22年)4月:旧制都立高等学校文科乙類入学
  • 1950年(昭和25年)3月:旧制都立高等学校文科乙類卒業
  • 1950年(昭和25年)4月:東京大学法学部政治学科入学
  • 1953年(昭和28年)3月:東京大学法学部政治学科卒業
  • 1953年(昭和28年)4月:東京大学法学部大学院入学
  • 1954年(昭和29年)5月:東京大学法学部大学院中退
  • 1954年(昭和29年)6月:熊本大学法文学部助手
  • 1955年(昭和30年)10月:熊本大学法文学部専任講師
  • 1958年(昭和33年)4月:熊本大学法文学部助教授
  • 1961年(昭和36年)12月:国際基督教大学教養学部社会科学科助教授
  • 1965年(昭和40年)4月:国際基督教大学教授
  • 1967年(昭和42年)4月:成蹊大学政治経済学部教授
  • 1976年(昭和51年)3月:東北大学法学部教授
  • 1988年(昭和63年)4月:東北大学名誉教授、上智大学法学部教授
  • 1996年(平成8年)10月:国際海洋法裁判所裁判官
  • 1998年(平成10年)3月:上智大学退職
  • 2006年(平成18年)4月:瑞宝重光章受章[2][3]
  • 2013年(平成25年)9月19日:誤嚥性肺炎のため死去[1]。85歳没

著書

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単著

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  • 『宇宙通信の国際法――国際企業の法形態として』(有信堂、1966年)
  • 『インテルサット(国際電気通信衛星機構)恒久協定の研究』(国際電信電話、1973年)
  • 『国際漁業紛争と法』(玉川大学出版部、1976年)
  • 『放送衛星をめぐる自由と規制』(玉川大学出版部、1979年)
  • 『国際法における危険責任主義』(東京大学出版会、1982年)
  • 『国際法』(有斐閣、1985年/新版、1994年)
  • 『国際刑事法』(三省堂、1991年)
  • 『海洋法』(三省堂、1992年)

編著

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共編著

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  • 内田久司)『国際法を学ぶ――現代国際法の理解のために』(有斐閣、1977年)
  • 皆川洸)『演習法律学大系(18)演習国際法』(青林書院新社、1977年)
  • 寺沢一)『国際法の基礎』(青林書院新社、1979年)
  • 杉原高嶺)『海洋法の歴史と展望――小田滋先生還暦記念』(有斐閣、1986年)

脚注

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  1. ^ a b “山本草二氏が死去 元国際海洋法裁判所判事”. 日本経済新聞. (2013年9月21日). https://www.nikkei.com/article/DGXNZO60009210R20C13A9CC1000/ 2013年9月21日閲覧。 
  2. ^ 「春の叙勲 都内から404人 山本草二さん、喜びの声」『読売新聞』2006年4月29日朝刊
  3. ^ 平成18年春の叙勲 瑞宝重光章受章者” (PDF). 内閣府. p. 2 (2006年4月29日). 2006年6月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月18日閲覧。

出典

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  • 山本草二教授略歴・著作目録」『法学』第52巻第5号、東北大学法学会、1988年12月、927-942頁、ISSN 03855082