山本隆太郎
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山本 隆太郎(やまもと りゅうたろう、1862年10月31日(文久2年9月9日[1])– 1942年(昭和17年)8月7日[1][2])は、明治から昭和前期の農業経営者、実業家、政治家。衆議院議員。
経歴
[編集]紀伊国日高郡、のちの和歌山県日高郡南部村[1](南部町[3]を経て現みなべ町)で、山本定八の長男として生まれる[1]。農業を営んだ[2]。
1888年(明治21年)10月の補欠選選挙で和歌山県会議員に当選し、1892年(明治25年)に再選された[1][3]。1894年(明治27年)3月、第3回衆議院議員総選挙で和歌山県第3区から義伯父・山本登の後継として出馬し初当選し、県会議員を辞職[1][2][3]。第4回、第5回総選挙で再選された[1][2]。1898年(明治31年)9月、県会議員に当選し、1899年(明治32年)に再選された[1][3]。1902年(明治35年)8月、第7回総選挙で当選し県会議員を辞職した[1][2]。県会議員として通算4期・9年6ヵ月間在任し、常置委員、参事会員を務めた[1][2]。1903年(明治36年)の第8回総選挙でも当選し、衆議院議員を通算5期務めた[1][2][3]。
政界を引退後、和歌山市西汀町に転居し、和歌山米穀株式綿糸取引所理事、関西土地興業取締役などに就任[1][2][3]。晩年は松井伊助の六三園支配人などを務めた[1]。
親族
[編集]脚註
[編集]参考文献
[編集]- 『和歌山県議会歴代議員名鑑』和歌山県議会、1969年。
- 和歌山県史編さん委員会編『和歌山県史 人物』和歌山県、1989年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。