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山根健男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
山根健男
やまね たけお
生年月日 1896年3月3日
没年月日 (1968-07-01) 1968年7月1日(72歳没)
出身校 オレゴン州立大学修了
前職 東京市嘱託
所属政党 公正会
配偶者 山根敏子
親族 父・山根武亮(貴族院議員)
義父・中島守利(衆議院議員)

在任期間 1932年7月10日 - 1947年5月2日
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山根 健男(やまね たけお、1896年明治29年)3月3日[1] - 1968年昭和43年)7月1日[1][2])は、昭和期の政治家華族貴族院男爵議員

経歴

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陸軍将校山根武亮の二男として生まれる[1][3][4]。父の死去に伴い、1928年(昭和3年)5月1日、男爵を襲爵した[1][3][5]

暁星中学校を経て[4]学習院高等科を修了[2][3]アメリカ合衆国に留学し、オレゴン州立大学を修了した[2][3]

1931年(昭和6年)東京市嘱託となる[2][3]1932年(昭和6年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され[6][7]公正会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで2期在任した[2]。その他、幣原内閣商工参与官、中央職業紹介委員会委員、逓信省委員、運輸通信省委員、内閣行政委員などを務めた[2]

親族

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脚注

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  1. ^ a b c d e f 『平成新修旧華族家系大成 下巻』805頁。
  2. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』88頁。
  3. ^ a b c d e 『人事興信録 第14版 下』ヤ130頁。
  4. ^ a b 『華族畫報 下』879頁。
  5. ^ 『官報』第401号、昭和3年5月2日。
  6. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、41頁。
  7. ^ 『官報』第1664号、昭和7年7月18日。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。
  • 杉謙二編『華族畫報 下』吉川弘文館、2011年(華族画報社大正2年刊の複製)。


日本の爵位
先代
山根武亮
男爵
山根(武亮)家第2代
1928年 - 1947年
次代
華族制度廃止