山田七五郎
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山田 七五郎(やまだ しちごろう、1871年2月1日 - 1945年6月27日)は、日本の建築家。長崎県技師、横浜市の初代建築課長を歴任し、1914年(大正3年)から1929年(昭和4年)まで、横浜市の建築営繕組織のトップとして組織を統率した。1925年にパリで開催された現代装飾美術・産業美術国際博覧会(アールデコ博)では、日本館の設計を担当した。
経歴
[編集]- 1871年(明治4年)京都府出身。1899年(明治32年)東京帝国大学卒業。長崎県技師として長崎県庁設計監督にあたる。1914年に横浜市開港記念会館建設のため、横浜市に渡る。初代横浜市建築課長として関東大震災復興にも尽力し、1929年5月2日退職。横浜高等工業学校講師を歴任。
主な作品
[編集]- 長崎県庁 明治44年(1911年)4月25日
関連項目
[編集]- 横浜市開港記念会館-彼の胸像が展示されている。