山田作之助
山田 作之助(やまだ さくのすけ、1896年(明治29年)4月22日[1] - 1995年(平成7年)5月20日[1])は、日本の会社役員、弁護士[2]、裁判官。神戸弁護士会長[3]。最高裁判事[3]。衆議院議員山田喜之助の三男。
経歴
[編集]東京府の弁護士・山田喜之助の三男[4]。東京府立第一中学校、京都の第三高等学校を経て1920年、東京帝国大学法学部卒業[4][5]。東京、神戸各地裁判事に任じ1925年、退官開業する[4]。神戸中山手の義父・高倍権太郎の屋敷内で、高倍・山田法律事務所を開設し共に執務した[5]。また昭和セメント、肥後製糸各監査役を務めた[4]。
1960年から6年間、最高裁判所判事を務めた[5]。在任中に奈良県ため池条例事件では多数意見の合憲意見に対し、条例は財産権を侵すとして反対意見を主張した[6]。
1995年5月20日、急性心不全のため、神戸海星病院で死去[5]。
人物
[編集]趣味は読書[2]、運動と囲碁[4][6]。宗教は真宗[2][4]。住所は兵庫県神戸市神戸区中山手通5丁目[2]、葺合区熊内町[4]。
家族・親族
[編集]- 山田家
作之助の父・喜之助は、東京弁護士会長、衆議院議員、衆議院書記官長、司法次官等を務めた[7]。
作之助の長男・弘之助は、兵庫県神戸市平野生まれ[5]。旧制六甲中学校、甲南高等学校文科乙類を経て1945年、東京帝国大学法学部法律学科独法科に入学[5]。
弁護士資格取得後の約8年間、松本烝治法律事務所で修業した[3]。1954年4月、立教大学社会学部講師[5]。1957年4月、上智大学法学部講師から1961年4月、助教授[5]。1961年10月に妻の山田隆子弁護士の協力を得て山田法律事務所を千代田区丸の内の東京海上ビル新館で創立した[3]。1979年4月、第一東京弁護士会副会長[5]。宗教は、キリスト教。弘之助は六甲中学時代に受洗したカトリックだった[5]。1990年3月24日、帰天[5]。妻・隆子は、弘之助と司法修習同期だった[5]。
- 祖父・八郎兵衛(砂糖商、住所は大阪府大阪市東区瓦町)
- 父・喜之助(1859年 - 1913年[7]、弁護士、政治家)
- 母・鳰(にお、1868年 - 1943年、岡松甕谷の二女)
- 兄・紹之助(1889年 - ?、工学者、北海道帝国大学教授)
- 妻・道(1904年 - ?、高倍権太郎の三女)[4]
- 長男・弘之助(1926年 - 1990年、弁護士)[4][3]
- 長女(弁護士、1927年 - )[4][5]
- 二女[5]
- 孫
- 親戚
- 祖父・岡松甕谷(儒学者)
- 義父・高倍権太郎(1869年[8] - ?、兵庫県平民、弁護士) - 妻・道の父[5][8]。兵庫県平民・高倍喜代門の長男[8]。1894年、帝国大学法科大学(現・東京大学法学部)卒業[8]。神戸商業会議所特別議員、横浜正金銀行・第一銀行・台湾銀行・住友銀行・三井物産・三菱造船・三菱倉庫等の法律顧問、太洋海運・日加信託の監査役を務めた[5]。住所は神戸・中山手通[8]。
- 系図
山田八郎兵衛 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
山田正三 | 山田喜之助 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
山田紹之助 | 女 | 山田述之助 | 山田作之助 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
山田弘之助 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
女 | 男 | 男 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
脚注
[編集]- ^ a b 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年、1304頁。
- ^ a b c d 『帝国大学出身名鑑 再版』ヤ59頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年10月11日閲覧。
- ^ a b c d e 山田法律事務所の沿革等について、山田・合谷・鈴木法律事務所公式サイト。
- ^ a b c d e f g h i j 『人事興信録 第14版 下』ヤ106頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年12月4日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 七戸克彦「山田喜之助・正三・作之助・弘之助 : 神戸学院大学・山田作之助関係資料に寄せて」『神戸学院法学』第46巻、神戸学院大学法学会、2016年10月、87-185頁、CRID 1050282810878453888、hdl:2324/1785513、ISSN 0386-2046、NAID 120005859684。
- ^ a b 野村二郎 1986, p. 96.
- ^ a b 山田 喜之助とはコトバンク。2016年12月4日閲覧。
- ^ a b c d e 『人事興信録 第6版』た86 - 87頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年12月7日閲覧。
参考文献
[編集]- 野村二郎『最高裁全裁判官:人と判決』三省堂、1986年。ISBN 9784385320403。
- 野村二郎『日本の裁判史を読む事典』自由国民社、2004年。ISBN 9784426221126。
- 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
- 校友調査会編『帝国大学出身名鑑 再版』校友調査会、1934年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。