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山田千疇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

山田 千疇(やまだ ちうね、1812年 - 1876年)は、尾張国中島郡中野村(のちの稲沢市)出身の国学者

人物

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尾張国中島郡中野村において、松平数馬に仕えた数右衛門の子金次郎として出生[1]。歌は木村千斎に師事する[1]。また、国学は植松茂岳に学ぶ[1]尾張藩に仕え、明倫堂の国学助教見習および神祇改役見習を歴任する[1]廃藩置県により、失職したのち教導職へと転じ、私塾を開いた[1]。旧蔵書および自筆稿本を中心に260点が名古屋市蓬左文庫寄託されている[2]

著作

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  • 『椋園時事録』[1]
  • 『尾張神名帳集説』[1]
  • 『尾張国式社座地目録』[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h 愛知県姓氏歴史人物大辞典編纂委員会 1991, p. 572.
  2. ^ 蓬左文庫の蔵書”. 名古屋市蓬左文庫. 2016年10月8日閲覧。

参考文献

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  • 愛知県姓氏歴史人物大辞典編纂委員会 編『角川日本姓氏歴史人名大辞典23 愛知県』角川書店、1991年10月30日。ISBN 4-04-002230-0