山田善三
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山田善三 やまだ ぜんぞう | |
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生年月日 | 1889年12月5日 |
出生地 |
日本 福岡県御原郡御原村 (現福岡県小郡市) |
没年月日 | 1947年11月9日(57歳没) |
出身校 |
日本体育会体操学校高等本科卒業 (現日本体育大学) |
前職 | 日本衣料製品統制監事 |
所属政党 | 日本自由党 |
選挙区 | 福岡県第1選挙区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1946年4月 - 1947年3月31日 |
山田 善三(やまだ ぜんぞう、1889年(明治22年)12月5日[1] - 1947年(昭和22年)11月9日[2])は、明治末から昭和前期の日本の教育者、政治家。衆議院議員。
経歴
[編集]福岡県[2]御原郡御原村(三井郡御原村[3]、小郡町を経て現小郡市)で生まれる。1908年(明治41年)日本体育会体操学校高等本科(現日本体育大学)を卒業した[2]。
福岡県立福岡高等女学校(現福岡県立福岡中央高等学校)教諭、同京都高等女学校(現福岡県立京都高等学校)教諭、福岡県立宗像高等実業女学校(現福岡県立宗像中学校・高等学校)長兼教諭、同宗像農学校長兼教諭、福岡県女子専門学校(現福岡女子大学)講師などを歴任した[2][3]。
その後、福岡県中等学校購買組合専務理事、同県洋服統制組合理事長、同県武具統制組合理事長、同県中等学校制服 (有) 取締役社長、全中制服工業取締役、日本衣料製品統制監事などを務めた[2][3]。
1946年(昭和21年)4月、第22回衆議院議員総選挙で同業者などの推薦を受けて福岡県第1区から日本自由党所属で出馬して当選し[3][4]、衆議院議員に1期在任した[2]。議員在任中に病を得て1年ほど療養し1947年11月に死去した[2][3]。
親族
[編集]- 子息 山田英智(解剖学者)[3]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第22回』衆議院事務局、1950年。
- ふるさと人物記刊行会編『ふるさと人物記』夕刊フクニチ新聞社、1956年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。