山田広二
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 愛知県大府市 |
生年月日 | 1972年11月20日(52歳) |
身長 体重 |
189 cm 82 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 内野手、外野手 |
プロ入り | 1994年 ドラフト3位 |
初出場 | 1997年9月7日 |
最終出場 | 1997年10月6日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について
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山田 広二(やまだ こうじ、1972年11月20日 - )は、愛知県大府市出身の元プロ野球選手(内野手)。
来歴・人物
[編集]弥富高校からトヨタ自動車を経て、1994年ドラフト3位で中日ドラゴンズに入団。高校までは投手だったが、社会人では内野手となり、中日から打力を評価されて入団する事になった。
内野ならどこでも守れる器用さを持ち、強肩を活かして外野を守った事もある。
1996年にはチームに山田姓の選手が4人も在籍していた(他には山田和利、山田喜久夫、ドラフト同期の山田洋)。その直前にイチローが大活躍し、変わった登録名が流行っていたこともあり登録名を「広二山田」に変更するが1年で元に戻している。和利はこの年限りで引退、同時に喜久夫(キク山田)と洋(ヒロ山田)もそれぞれ本名に戻した。
二軍では結果を残すものの、度重なる手首の故障の影響からか一軍では満足な成績を残す事が出来ず、入団4年目の1998年に球団から戦力外通告を受け、一度は引退した。
1999年は球団職員として過ごしたが、故障の回復が認められ、2000年に選手として再登録された。しかし結局一軍出場はなく、同年限りで再び引退した。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1997 | 中日 | 19 | 39 | 39 | 2 | 6 | 2 | 0 | 1 | 11 | 8 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 10 | 0 | .154 | .154 | .282 | .436 |
通算:1年 | 19 | 39 | 39 | 2 | 6 | 2 | 0 | 1 | 11 | 8 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 10 | 0 | .154 | .154 | .282 | .436 |
記録
[編集]- 初出場:1997年9月7日、対読売ジャイアンツ23回戦(ナゴヤドーム)、9回表に右翼手として出場
- 初先発出場:1997年9月20日、対阪神タイガース26回戦(ナゴヤドーム)、8番・右翼手として先発出場
- 初安打・初打点:同上、2回裏に川尻哲郎から
- 初盗塁:同上、2回裏に二盗(投手:川尻哲郎、捕手:山田勝彦)
- 初本塁打:1997年9月24日、対横浜ベイスターズ23回戦(横浜スタジアム)、8回表に川村丈夫から先制決勝2ラン
背番号
[編集]- 56 (1995年)
- 52 (1996年 - 1998年)
- 96 (2000年)
登録名
[編集]- 山田 広二(やまだ こうじ、1995年、1997年 - 1998年、2000年)
- 広二山田(こうじやまだ、1996年)
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)