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山田徳兵衛 (吉徳第11代当主)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

山田 德兵衞(やまだ とくべえ、1939年7月6日[1] - 2009年4月27日)は、日本の実業家、人形問屋吉徳の第11代当主[2]。出生名は忠男[3]

経歴

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山田忠男は、吉德の第10代当主だった十世 山田德兵衞の三男として東京に生まれた[2]。小学生の頃から、父に仕事関係の使いなどを命じられていた[4]

成蹊高等学校から、成蹊大学政治経済学部に進み、1962年に卒業した[5][6]。学生時代には馬術に打ち込み、東京都代表として出場した第14回国民体育大会の馬術・一般の部「自馬中障害飛越」競技で優勝し[7]、全日本の中障害でも優勝した[4]。また、東京オリンピックの候補選手に名が挙がるほどであったという[8]

大学卒業後、貿易会社(野澤組)勤務を経て、1963年暮れに吉德に入社した[4][9]

1965年に取締役となり、専務を経て、1975年7月に吉德代表取締役社長となった[9][10]。1984年、德兵衞を襲名し、十一世山田德兵衞となる[3]

1986年、イギリスのチャールズ3世(当時皇太子)とともに当時の妃ダイアナが来日した際には、赤坂迎賓館日本人形の説明役を務めた[8]

1989年から始まった、明治神宮における「人形感謝祭」は、山田が発案したものである[8]

2007年、社長職を長男の純一郎に譲り、吉德代表取締役会長[8]

日本人形協会会長、東京都ひな人形卸商協同組合理事長、玩具人形健康保険組合理事長[2]、浅草法人会会長[11]などを歴任した。

2009年4月27日、肝不全のため死去[1]

おもな著書

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  • 吉徳これくしょん 日本の人形東京堂出版、1985年https://dl.ndl.go.jp/pid/12650693/1/5 
  • 図説日本の人形史』東京堂出版、1991年https://dl.ndl.go.jp/pid/13463091 
  • 『語りかける人形たち』東京堂出版、2001年。ISBN 4-490-20454-X 

脚注

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  1. ^ a b 『現代物故者事典2009~2011』(日外アソシエーツ、2012年)p.649
  2. ^ a b c 山田徳兵衛 1711年創業の老舗人形店吉徳11代目店主”. 企業家人物辞典製作委員会. 2015年4月26日閲覧。
  3. ^ a b 吉徳の歴史”. 吉徳. 2015年4月26日閲覧。
  4. ^ a b c “日米親善人形:1 しにせの後を継ぐ(昭和にんげん史)”. 朝日新聞・夕刊: p. 3. (1988年8月22日)  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
  5. ^ 山田 徳兵衛氏 逝去”. 成蹊会. 2015年4月26日閲覧。
  6. ^ 3月度月例会・親睦会のご報告”. 関西不動産三田会. 2015年4月26日閲覧。
  7. ^ 国民体育大会” (PDF). p. 79. 2015年4月26日閲覧。
  8. ^ a b c d 「人形は顔がいのち」…吉徳会長・山田徳兵衛さん 前日本人形協会会長”. 産経デジタル (2009年7月27日). 2015年4月26日閲覧。
  9. ^ a b 村田泰夫 (1994年1月22日). “山田徳兵衛さん 吉徳社長(編集長インタビュー)”. 朝日新聞・夕刊: p. 5  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
  10. ^ 1980年とする資料もある。企業家人物辞典製作委員のサイトの記述を参照。
  11. ^ 組織概要・エリアマップ 浅草法人会沿革”. 浅草法人会. 2015年4月26日閲覧。