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山田武

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

山田 武(やまだ たけし、1858年9月22日(安政5年8月16日[1])- 1901年明治34年)10月6日[2][3])は、明治期の弁護士政治家衆議院議員

経歴

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下野国那須郡大田原宿[4]栃木県[2]那須郡大田原町[1]を経て現大田原市)で、大田原藩[4][5]・山田収の長男として生まれる[6]。金枝柳村、郡山華南らから漢学を学んだ[6]巡査となる[6][4]栃木師範学校を卒業し[2][3]、小学権中授業、同訓導を務めた[1][2][3][5]。その後、明治法律学校(現明治大学)で学び、代言人試験に合格し宇都宮で代言人(弁護士)を開業した[1][2][4][5][6]。1892年(明治25年)宇都宮代言人組合会長に就任し、翌年、弁護士会に改組され同会長となり、1895年(明治28年)まで在任した[1][2][4][5][6]

1882年(明治15年)立憲改進党に入党し[1][6]、その後、憲政党代議員、憲政本党下野支部幹事を務めた[1][5]。1886年(明治19年)3月、栃木県会議員に選出され、1897年(明治30)9月に再選され、同年10月、名誉職参事会員に就任した[1][2][3][5]

1898年(明治31年)8月、第6回衆議院議員総選挙で栃木県第4区から憲政本党所属で出馬して当選したが[1][2][5][7]、肺病のため東京赤十字病院に入院して治療を行ったが、議員在任中の1901年10月に死去した[6][8]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i 『衆議院議員列伝』367頁。
  2. ^ a b c d e f g h 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』685頁。
  3. ^ a b c d 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』477頁。
  4. ^ a b c d e 『栃木県歴史人物事典』617頁。
  5. ^ a b c d e f g 『日本現今人名辞典』やノ16頁。
  6. ^ a b c d e f g 『大田原景賢誌』142-143頁。
  7. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』83頁。
  8. ^ 『官報』第5485号、明治34年10月12日。

参考文献

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  • 『日本現今人名辞典』日本現今人名辞典発行所、1900年。
  • 山崎謙 編『衆議院議員列伝』衆議院議員列伝発行所、1901年。
  • 人見伝蔵『大田原叢書 第2編 大田原景賢誌』人見伝蔵、1915年。
  • 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『栃木県歴史人物事典』下野新聞社、1995年。