コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

山田隆一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
山田隆一

山田 隆一(やまだ たかかず、1868年9月2日慶応4年7月16日) - 1919年(大正8年)3月8日[1])は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍中将従三位

経歴

[編集]

山口県厚狭平民山田貢四郎の二男として生まれる。1885年2月、分家し、一家を成す。1888年7月28日陸軍士官学校(旧10期)を卒業し、陸軍少尉に任官。1891年11月、陸軍大学校に入学したが、日清戦争出征のため中退。戦後に復校し、1896年3月、陸大(10期)を優等で卒業した。

後備歩兵第6連隊中隊長、参謀本部付、軍務局課員、台湾兵站部副官ドイツ駐在武官、軍務局課員(軍事課)、兼梨本宮守正王付武官などを歴任。日露戦争第2軍参謀として出征し、功により勲三等功三級を賜る。その後、軍務局課員、近衛歩兵第3連隊長、陸軍省副官、軍務局軍事課長などを経て、1911年9月、陸軍少将に昇進[2]

歩兵第11旅団長陸軍歩兵学校長、軍務局長、陸軍次官などを歴任し、1916年8月、陸軍中将に進んだ。1918年10月、第5師団長に就任したが、翌年3月に現職のまま広島に於いて薨去享年51。墓所は築地本願寺和田堀廟所

栄典

[編集]
位階
勲章等

親族

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 墓誌には同年3月7日薨とあり
  2. ^ 『人事興信録』第4版
  3. ^ 『官報』第7352号「叙任及辞令」1907年12月28日。
  4. ^ 『官報』第1874号「叙任及辞令」1918年11月1日。
  5. ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1906年12月11日。
  6. ^ 『官報』第1190号「叙任及辞令」1916年7月19日。
  7. ^ 『官報』第2903号「叙任及辞令」1922年4月10日。

参考文献

[編集]
  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。