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山科言国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
山科 言国
時代 室町時代後期 - 戦国時代
生誕 享徳元年(1452年
死没 文亀3年2月28日1503年3月26日
官位 権中納言
主君 後花園天皇後土御門天皇
氏族 山科家
父母 父:山科保宗、養父:山科顕言
正室:高倉永継の娘
言綱
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山科 言国(やましな ときくに)は、室町時代後期から戦国時代にかけての公卿。『言国卿記』の著者。

経歴

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山科家庶流・山科保宗の子として誕生。正室は高倉永継の娘。

本家の山科顕言寛正3年(1462年)、嗣子無きまま没したため、その養子となり家督を相続した。官位権中納言

連歌絵双六将棋囲碁などの遊芸に熱中したことが日記に書かれ、阿弥衆の碁の上手の重阿弥とも対局している[1]

系譜

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  • 父:山科保宗
  • 母:不詳
  • 養父:山科顕言
  • 正室:高倉永継の娘
  • 生母不明の子女

関連項目

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脚注

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  1. ^ 増川宏一『碁』法政大学出版局 P.66-67