山野平一
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山野 平一(やまの ひらかず、1887年〈明治20年〉8月4日[1] - 1971年〈昭和46年〉12月31日[2])は、大正から昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。
経歴
[編集]大阪府[2]、現在の大阪市[3]で山野助四郎の三男として生まれる[4]。1905年(明治38年)大阪府立八尾中学校(現大阪府立八尾高等学校)を卒業[2][3]。1914年(大正3年)家督を相続した[4]。
実業界では、都島商事社長、大阪地下街監査役などを務めた[2][4]。
政界では、大阪市会議員、同副議長を務めた[2][3][4]。その他、都島警防団長、都島教育会長、帝国在郷軍人会都島分会顧問、軍事援護会北区連合会理事長、大政翼賛会大阪支部常務委員、借家借地調停委員、北区町会連合会長、都島簡易裁判所調停委員、大阪調停協会長、大阪市社会福祉協議会副会長などを務めた[2][3]。
1942年(昭和17年)4月、第21回衆議院議員総選挙に翼賛政治体制協議会の推薦を受け大阪府第3区から出馬して当選した[2][3]。この間、翼政会政調商工・海軍兼務委員などを務めた[3]。戦後、無所属倶楽部に所属し[2]、その後公職追放となった[5]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『翼賛議員銘鑑』議会新聞社、1943年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。