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岐阜市立七郷小学校

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岐阜市立七郷小学校
七郷小学校
七郷小学校
地図北緯35度26分59秒 東経136度42分23秒 / 北緯35.449639度 東経136.706306度 / 35.449639; 136.706306座標: 北緯35度26分59秒 東経136度42分23秒 / 北緯35.449639度 東経136.706306度 / 35.449639; 136.706306
過去の名称 昇曦舎
日曦学校
七郷尋常小学校
七郷尋常高等小学校
七郷国民学校
七郷村立七郷小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 岐阜市
設立年月日 1872年3月[1]
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B121220100254 ウィキデータを編集
所在地 501-1161
岐阜県岐阜市西改田字川向94-1
外部リンク 外部リンク
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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岐阜市立七郷小学校(ぎふしりつ ななさとしょうがっこう)は、岐阜県岐阜市西改田字川向にある小学校

沿革

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  • 1872年(明治5年)3月 - 昇曦舎が開校。下西郷村、小西郷村、東改田村、上尻毛村、又丸村の児童が通学する。教徳寺[注釈 1]を仮校舎とする。[2]
  • 1873年(明治6年)11月 - 校舎が完成する。日曦学校に改称する。
  • 1886年(明治19年)11月 - 七郷尋常小学校に改称する。
  • 1889年(明治22年)7月1日 - 下西郷村、小西郷村、西改田村、東改田村、上尻毛村、川部村、又丸村が合併し、七郷村が発足。
  • 1891年(明治24年)10月28日 - 濃尾地震により校舎が全壊し、休校。
  • 1892年(明治25年)2月 - 教徳寺を仮校舎とし、授業を再開。
  • 1893年(明治26年)5月 - 校舎を新築する。
  • 1897年(明治30年)4月1日 - 七郷村の一部(下西郷)が分離し、中西郷村上西郷村小野村中村と合併、西郷村になる。西郷村字下西郷は七郷村に委託され、引き続き七郷尋常小学校に通学する。
  • 1908年(明治41年)4月 - 西郷村字下西郷の委託を解消。
  • 1924年(大正13年)4月 - 七郷尋常高等小学校に改称する。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 七郷国民学校に改称する。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 七郷村立七郷小学校に改称する。
  • 1950年(昭和25年)8月20日 - 七郷村が岐阜市に編入される。同時に岐阜市立七郷小学校に改称する。
  • 1951年(昭和26年)11月30日 - 校舎新築のため、校舎の一部を取り壊す。そのため、1年生は公民館(旧・七郷村役場)、4年生は西改田北向会所、5年生は教徳寺と堀ノ内会所での分散授業となる。
  • 1952年(昭和27年)4月 - 新校舎が完成し、分散授業を解消。
  • 1959年(昭和34年)8月 - 校歌制定。
  • 1970年(昭和45年)3月 - 特別教室が完成。
  • 1977年(昭和52年)9月 - 新校舎完成。
  • 1980年(昭和55年) - 校舎(鉄筋コンクリート造)が完成。

通学区域

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  • 西改田、川部、上尻毛、又丸、小西郷、東改田、西改田字川向、西改田字米野、西改田字若宮、西改田上の町、西改田先道、西改田夏梅、西改田松の木、西改田宮西、西改田村前、西改田東改田入会地、上尻毛八幡、上尻毛日吉、東改田字腰前田、東改田字再勝、東改田字鶴田、又丸津島、又丸宮東、又丸村中、又丸柳町、又丸町畑、川部1 - 6丁目、小西郷1 - 3丁目、西改田七石、東板谷[3]

進学先中学校

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著名な出身者

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交通機関

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西郷線「西改田」バス停より徒歩約5分。

周辺

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  • 若江神社
  • 神明神社
  • 御鍬神社
  • 教徳寺
  • 七郷保育園
  • 白山神社

参考文献

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  • ふるさと七郷(ふるさと七郷編集委員会 1975年)P.112 - 127

脚注

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出典

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  1. ^ 「岐阜市史 史料編 現代Ⅱ 第2巻」(岐阜市 2019年)P.74
  2. ^ 岐阜市立七郷小学校について”. 岐阜市立七郷小学校. 2021年8月17日閲覧。
  3. ^ 岐阜市立小・中学校及び高等学校通学区域に関する規則”. 岐阜市教育委員会. 2021年8月17日閲覧。

注釈

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  1. ^ 現在の岐阜県岐阜市西改田村前61にある寺院。

関連項目

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外部リンク

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