岐阜検車区
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岐阜工場・岐阜検車区 | |
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構内を南東側より望む(2005年1月) | |
基本情報 | |
所在地 | 岐阜県岐阜市市ノ坪町 |
鉄道事業者 | 名古屋鉄道 |
最寄駅 | 市ノ坪駅 |
車両基地概要 | |
敷地面積 | 15,300 m2 |
構内線路延長 | 1,042 m |
検査線本数 | 2本 |
備考 | データは1996年7月現在[1]。 |
岐阜検車区(ぎふけんしゃく)は、かつて岐阜県岐阜市市ノ坪町に存在した、名古屋鉄道の車両基地である。名鉄住商工業の岐阜工場があることから、名鉄岐阜工場とも称されていた。
田神線市ノ坪駅 - 田神駅の間に存在した。広さは約17,000m2。
2005年(平成17年)4月1日、岐阜地区の600V線区の全廃により閉鎖された。
概要
[編集]名古屋鉄道の岐阜地区にある600V線区の軌道線(美濃町線・岐阜市内線・田神線)の路面電車の日常検査、月検査のほか、全般検査や改造も行っていた。また、岐阜地区の600V線区の鉄道線(揖斐線・谷汲線)用で、通常軌道線に入線しない車両(750形など)[注釈 1] の全般検査も行っていた。なお、1997年(平成9年)以降は、車両の取り外し機器の全般・重要部検査は舞木検査場が担当していた。
凡例 出典:[2] |
岐阜地区の600V線区の全廃により閉鎖されたが、日本各地に車両(590形・770形・880形・780形・800形)を譲渡するため、車両の改造工場として使用された。岐阜市内線廃止以前には福井鉄道の600形・610形電車(元名古屋市営地下鉄名城線1000形・1100形電車)の改造工事も行っていた。最後は廃車置場として使用されたが、2007年頃には線路は撤去され、更地となった。更地となった後、土地を善都が買い取りパチンコ店ZENT市ノ坪となっている。
沿革
[編集]- 1911年(明治44年):美濃電気軌道により岐阜市梅林(梅林駅付近)に車庫が設置される。
- 1918年(大正7年):岐阜市長住町(現・各務原線名鉄岐阜駅の北付近[注釈 2] )に移転する。
- 1967年(昭和42年):岐阜市市ノ坪町に移転。
- 2005年(平成17年):閉鎖。
その他
[編集]- 岐阜市長住町に存在していた頃、岐阜市内線新岐阜駅前駅から引込線が設置されていた。この引込線からは各務原線にもつながる線路が分岐していたが、主に転属車両などの搬出入用で、営業列車が乗り入れることはなかった。岐阜工場の市ノ坪への移転後も、各務原線新岐阜駅構内への引込線は残ったが、後に各務原線との接続は切断され、車両の留置線として使用された[注釈 3]。
- 岐阜工場の市ノ坪への移転後は、岐阜市内線は車両基地に直接接続しない形となった。以来、美濃町線・田神線の徹明町-市ノ坪間には市内線車両の入出庫のための回送列車が設定され、市内線車両は数日おきに検査のために岐阜工場に戻るほかは、上記の新岐阜駅構内の留置線や忠節駅構内に滞泊していた。
- 600V線区の鉄道線の車両の日常点検は、黒野駅に隣接する黒野検車区で行われていた。
- 2006年(平成18年)に岐阜検車区跡地の土壌調査が行われた結果、環境基準に対して鉛が87倍、フッ素が1.5倍、ダイオキシン類が1.1倍(数値は最大値)が検出された。付近の河川への流出は確認されていない。
- 同じ岐阜市内の名古屋本線茶所駅 - 岐南駅間にある車両基地は、茶所検車支区である。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 岐阜検車区に入るには、忠節駅から岐阜市内線・美濃町線を経由して田神線を通らなければならなかった。そのため岐阜検車区へ向かうときは、路面電車と同じ型の簡易排障器を取り付けていた。さらに車両幅が異なるため、深夜に回送されていた。片運転台の700形や制御車のク2320形などは路面電車車両(主に570形)に牽引されていた。
- ^ 跡地は岐阜中央郵便局、名鉄新岐阜駐車場などとなっている。
- ^ 1988年(昭和63年)に岐阜市内線徹明町駅 - 長良北町駅間が廃止された際に、各務原線新岐阜駅付近をぎふ中部未来博会場へのアクセスバス乗り場にするために撤去された。
出典
[編集]- ^ 宇佐美晃「車両保守体制と車両基地の概要」『鉄道ピクトリアル』第624巻、電気車研究会、1996年7月、46頁。
- ^ 油原誠 「車両工場・検車区の概要」(『鉄道ピクトリアル No.473 1986年12月増刊号』、p.27,電気車研究会、1986年