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岡安彦三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

岡安 彦三郎(おかやす ひこさぶろう、1899年4月20日[1] - 1982年9月14日[2])は、日本地方公務員東京都副知事を務めた。

経歴・人物

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岡安六郎の五男として埼玉県に生まれる[1]。父・六郎が生命保険会社の福岡支店長を務めていたため福岡市で育つ[3]。1917年福岡県立中学修猷館[4]第五高等学校[3]を経て、1925年京都帝国大学法学部法律学科を卒業[5]

東京市役所に入り、財務局地理課庶務掛長、同地理課長、経済局庶務課長、市長室企画部予算課長、1943年7月に東京市と東京府が廃止され東京都となると、その都長官官房用度課長、1946年5月日本橋区長、財務課長、財務部長、財務局長を歴任した後、1949年12月、東京都副知事に就任。1951年7月から東京国立近代美術館の設立準備委員も務めた。1955年6月辞任する[1]

その後、東京鉄鋼埠頭社長、小田急バス小田急交通各監査役などを務めた[1]

脚注

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  1. ^ a b c d 『人事興信録第25版』(人事興信所、1969年) オ-341頁
  2. ^ 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』(日外アソシエーツ株式会社、2012年)279頁
  3. ^ a b 『ふるさと人物記』(夕刊フクニチ新聞社、1956年)11頁
  4. ^ 『修猷館同窓会名簿 修猷館235年記念』(修猷館同窓会、2020年)同窓会員12頁
  5. ^ 『京都帝国大学一覧(自大正14年至大正15年)』(京都帝国大学、1926年)卒業生姓名486頁

参考文献

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  • 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年。