岡宏
岡 宏 | |
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出生名 | 金好植 |
生誕 | 1941年10月1日 |
出身地 | 日本 東京都 |
死没 | 2024年11月8日(83歳没) |
学歴 | 日本大学 |
ジャンル | ジャズ、歌謡曲、演歌 |
職業 | バンドマスター、指揮者、作曲家、テナーサックス奏者、芸能プロダクション社長 |
活動期間 | 1958年 - 2024年 |
事務所 | 岡宏音楽事務所 |
共同作業者 | クリアトーンズ・オーケストラ |
公式サイト | 岡 宏オフィシャルサイト |
岡 宏(おか ひろし、1941年[1]10月1日[2] - 2024年11月8日)は、日本のバンドマスター、指揮者、作曲家、テナーサックス奏者、芸能プロダクション社長。本名:金好植(キム・ホシク)。元妻は歌手のキム・ヨンジャ。NHK教育テレビ『ハングル講座』の音楽を監修・担当した。
経歴
[編集]1941年、東京で生まれる。日本大学芸術学部に在籍中、日本大学ソサエティ楽団にアルトサックス奏者として入団。文化放送大学対抗バンド合戦において「マ・カレナ」のソロで優勝。在学中ビクターオーケストラの専属となり、卒業後プロの道に入る。その後テナーサックスのソロプレィヤーとなる。
1974年にクリアトーンズ・オーケストラを結成し、その指揮者として活動。
1981年、韓国の人気歌手であったキム・ヨンジャと結婚。後に事務所社長としてキム・ヨンジャの日本再デビューを成功させる。
2001年、在日韓国人文化芸術協会会長に就任。4月、キム・ヨンジャと共に北朝鮮を訪問、公演を行う。
2012年、キム・ヨンジャと離婚。
2024年11月8日午前1時58分、入院先の病院で脳梗塞のため、83歳で死去[3]。
エピソード
[編集]受賞・表彰
[編集]- 韓国政府より、文化功労賞(韓日文化交流の貢献に対して)
- 日本国政府より、法務大臣表彰(2000年)20数年にわたる刑務所慰問活動を通した矯正教育への多大な理解と貢献に対して
- ブラジルサンパウロ州議会より、アンシェッタ賞
- メキシコ日本人会より、友好賞
- 東京上野不忍池水上音楽堂での納涼演歌祭30年連続出演で上野観光協会より表彰(2013年)
- 日本作曲家協会と日本著作家連合より功労賞(2016年)
- 日本作曲家協会より社会福祉委員会委員を委嘱(2017年)
クリアトーンズ・オーケストラとして
[編集]クリアトーンズ・オーケストラは、1974年にフル編成の楽団として岡が結成したバンドである。(前身となるバンドは、1963年からコンボ編成の楽団として活動していた)テレビ・ラジオなどへの出演、各レコード会社の録音、歌手との共演などを行っている。長い間、偶数年に日本、奇数年に海外で定期にコンサートを開いていた。2003年より5年ごとにクリアトーンズ・オーケストラ記念コンサートを開催。2013年7月にはクリアトーンズ・オーケストラ40周年記念コンサートを開催(中野サンプラザ)。
主な日本国外公演には以下がある。
- 1986年 - 中国公演(中国政府の招聘による)
- 1986年 - 韓国公演(ソウル木浦共生園でのチャリティーコンサート)
- 1987年 - アメリカ公演(アトランティックシティ)
- 1990年 - ソ連公演(サハリン残留日本人・韓国人に向けたコンサート)
アルバム
[編集]- モーニン /ビッグ・バンド・ジャズの真髄 (1997年)
- 聖者の行進 /ビッグ・バンド・ジャズの真髄II (1998年)
- SWING JAZZ FOR HAWAIAN SONGS (2005年)
連載
[編集]- バンマス岡 宏の「うしろ姿の おつきあい」月刊 歌の手帖(マガジンランド)2017年1月号まで
脚注
[編集]- ^ a b 在日社会 在日新世紀・新たな座標軸を求めて3 - 日本の芸能界で半世紀にわたり活動 金 好植(岡宏)さん 東洋経済日報 2007-09-21
- ^ バンマス歴60年、多くの歌手支えてきた岡宏が「BOSS★岡」として歌手デビュー 日刊スポーツ 2023-06-04
- ^ “岡宏さん死去、 脳梗塞で 1カ月前にはコンサートで元気に熱唱/デイリースポーツ online”. デイリースポーツ online (2024年11月8日). 2024年11月8日閲覧。
外部リンク
[編集]- 岡 宏オフィシャルサイト
- 岡 宏オフィシャルブログ
- 岡宏 (oka.hiroshi.music.office) - Facebook