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岡崎公会堂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

岡崎公会堂(おかざきこうかいどう)は、かつて京都市左京区岡崎最勝寺町にあった公会堂。「京都市公会堂」とも呼ばれる[1]

沿革

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石版画「御大礼記念 二条城内豊楽殿大饗宴之御盛儀」(尚美堂・田中良三、1915年)。この建物の部材が公会堂に転用された。

1917年(大正6年)7月に岡崎公園内に開設された[1][2]。本館と東館の2棟で構成されていた[1]。建築部材には、大正天皇即位大典の際に二条離宮(現:⁠元離宮二条城)内に設置された大饗宴場の廃材が転用された[1][2]

1920年(大正9年)には都市計画反対の市民集会、1922年(大正11年)には全国水平社創立大会(水平社宣言を採択)、1923年(大正12年)にはメーデー演説会などの集会が開催された[2][3]1928年昭和3年)9月20日には御大礼記念京都博覧会の開会式が行われた[4]

しかし、東館は1929年(昭和4年)5月に火災で全焼し、翌年8月に再建された[1]。一方本館は1934年(昭和9年)の室戸台風で倒壊、以後再建されることはなかった[1]

残存した東館は終戦後の1945年(昭和20年)9月に連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ)に接収され、サンフランシスコ講和条約発効後の1952年(昭和27年)10月に接収解除となり、再び公会堂として使用された[1]

1956年に(昭和31年)、旧本館跡地に京都会館の建設が決定され、1960年(昭和35年)6月に開設されると、東館は京都会館別館となる[1]。旧東館はその後改修されて2000年(平成12年)4月より京都市美術館別館として使用されている[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i 京都市公会堂(岡崎公会堂)の歴史が知りたい。現在は京都市美術館の別館として使用されている建物。 - レファレンス協同データベース(国立国会図書館、2011年8月29日)
  2. ^ a b c 第4章 生活文化と都市文化 (PDF) 」『京都岡崎の文化的景観』京都市文化財保護課、2013年、pp.89 - 91
  3. ^ 水平社創立100年 記念集会の参加者ら語る差別の現状”. 朝日新聞. (2022年3月4日) 
  4. ^ 岡崎公会堂で開会式『大阪毎日新聞』昭和3年9月21日夕刊*(『昭和ニュース事典第1巻 昭和元年-昭和3年』本編p163 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)

外部リンク

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