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岡本藤次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

岡本 藤次郎(おかもと とうじろう、1889年7月18日 - 1983年12月19日)は、日本経営者豊田通商社長、会長を務めた。愛知県出身[1]

来歴・人物

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旧尾張藩士の家に生まれ、市立名古屋商業学校を卒業。その後、アメリカニューヨーク州のイーストマンカレッジを卒業[1]東洋綿花(トーメン)に入社。1926年5月に豊田紡織取締役に就任し、常務を経て、1948年7月に日新通商(のちの豊田通商)社長に就任し、会長も務めた[1]中部日本放送取締役、トヨタ自動車監査役、豊田自動織機監査役などを歴任[1]

トヨタ金融が設立された際には監査役に就任。豐田産業では常務。戦後、豐田産業が持株会社の指定を受けると、得意の英語を駆使してGHQと交渉し、日新通商の設立に奔走。

先見性に優れ、20社以上の関連会社の設立に関わる。西川秋次、石田退三とともに“豊田の三傑”と呼ばれるなど、当社のみならずトヨタグループ全体の躍進に貢献した存在であった。

1958年藍綬褒章を受章し、1962年紺綬褒章を受章し、1965年勲三等瑞宝章を受章[1]

1983年12月19日急性心不全のために死去[2]。94歳没。

岡本は生前、「(戦後新しく誕生した商社である)日新通商に対する私の理想は、名古屋に於ける総合商社たらしむること」と語ったという。

脚注

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  1. ^ a b c d e 興信データ株式會社 1981, お353頁.
  2. ^ 1983年 12月20日 日本経済新聞 朝刊 p27

参考文献

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  • 興信データ株式會社『人事興信録 第31版 上』興信データ、1981年。