岡田昭守
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岡田 昭守(おかだ あきもり、1927年(昭和2年)3月15日[1][2] - 1992年(平成4年)5月30日[2])は、日本の政治家、茨城県龍ケ崎市長を務めた(3期)。
来歴
[編集]茨城県出身[2]。1942年(昭和17年)旧制茨城県立龍ヶ崎中学校(現在の茨城県立竜ヶ崎第一高等学校・附属中学校)を卒業した[1][2]。電機会社に勤めた後、稲敷郡龍ケ崎町役場に奉職する[1][2]。龍ケ崎市制施行後の市役所内では消防署長、議会事務局長、総務部長、助役を務めた。助役時代の1981年(昭和56年)5月30日、当時の龍ケ崎市長の中村忠雄が交通事故により死去した。その後を受けて市長選挙に立候補し、当選した[1][2]。当選後は前市長が進めたニュータウンの造成を中心とする総合都市を計画を実施し、「産業文化都市・龍ケ崎」を位置づけした[1]。さらに、市内に住宅団地と工業団地の開発を同時に実施した。市長選挙は1985年(昭和60年)、1989年(平成元年)と連続で当選した。3期目途中の1992年(平成4年)5月30日に肝臓がんで死去した[3]。この日は前市長の中村忠雄の命日でもあった。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長 第1巻』歴代知事編纂会、1983年。
- 『茨城県人物・人材情報リスト 2021』日外アソシエーツ、2020年。