岡田裕子
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おかだ ひろこ 岡田 裕子 | |
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生誕 |
1970年(53 - 54歳) 日本 東京都 |
出身校 | 多摩美術大学 |
職業 | 芸術家 |
配偶者 | 会田誠(芸術家) |
岡田 裕子(おかだ ひろこ、1970年 - )は、日本の現代美術家。
来歴・活動
[編集]東京都生まれ。田園調布雙葉学園を経て、1993年(平成5年)に多摩美術大学を卒業し、翌年には同大学研究生を修了。 2001年(平成13年)、現代美術家の会田誠と結婚。息子は会田寅次郎[1]。
自らの実体験―恋愛、結婚、出産、子育てなど―を通したリアリティのある視点で、現代の社会へのメッセージ性の高い美術作品を制作。国内外の美術館、ギャラリー、オルタナティブスペース等にて展覧会多数。表現手法はビデオやインスタレーション、パフォーマンスなど多岐にわたる。
代表作として、恋人の別れを架空の日本文化で表現した「Sweet Memories-The kite of loves end」(1997年)。男女の心のすれ違いを擬音のコラージュで表現した「私の歌」(1998年、東京都写真美術館「ラヴズ・ボディーヌード写真の近現代」展にて発表)。男性の妊娠出産をテーマにした「俺の産んだ子」(2003)。高齢化社会の独居老人を演じた「翳りゆく部屋」(2009)。未来の再生医療による日本で起こる現象を予想した「エンゲージド・ボディ」(2019)。コロナ禍の時代を体験型サウンド作品で表現した「誰も来ない展覧会」(2020)など。自らの私生活の経験から発想を得て、時代を切り取り、近未来予想的な作品を多く手掛けている。
アーティストや学生、一般人と共同で行うアートプロジェクトを牽引する仕事も多数手がける。2001年より家族のユニット活動として<会田家>を発足。2007年より千葉大学WiCANのアートプロジェクトに数年に渡り参加。プロデュース&ディレクションを手がけ、千葉市の街や日本社会に眼差しを向け、学生や現地の方々と共同作品を制作・発表。 2010年より参加者をアーティストだけに固定しないオルタナティブなアートプロジェクトとしての人形劇団『劇団☆死期』を旗揚げ、主催[2][3]。コロナ禍においてもファッションなど他業種のとクリエーターと繋がりながら「何かをつくる」活動である「W HIROKO PROJECT」を、ファッションデザイナーのHIROKO ITOとともに開始する(2020年〜)など。
著書は作品集「DOUBLE FUTURE─ エンゲージド・ボディ/俺の産んだ子」求龍堂(2019年)、人形劇を書籍化した(共著)に『「現代アート探偵 ゲンダイチコースケの事件簿『銀髪の賢者と油之牝狗』」ART DIVER(2015年)など。
2007年(平成19年)に製作・DVD販売された岡田の半生を描いたドキュメンタリー風ドラマ、『ふたつの女』(監督・ダーティ工藤)では会田誠と共演。
取り扱い画廊はミヅマアートギャラリー。
会田誠作品への参加
[編集]- 「DOUBLE FANTASY」(2001)
- 「雅子妃先輩、がんばって!」(2006)
関連項目
[編集]脚注
[編集]出典
[編集]外部リンク
[編集]- 岡田 裕子 - ミヅマアートギャラリー
- OKADA Hiroko - 公式HP
- 岡田裕子 Okada Hiroko (@hirokook) - X(旧Twitter)
- 岡田 裕子 (hiroko.okada.98871) - Facebook