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岡野栄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

岡野 栄(おかの さかえ、1880年明治13年〉4月7日 - 1942年昭和17年〉3月21日)は、日本洋画家版画家口絵画家。従四位勲四等。

来歴

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1880年(明治13年)東京の赤坂に生まれた。

白馬会洋画研究所黒田清輝に学び、東京美術学校洋画科選科(現東京芸術大学)にて引き続き黒田の指導を受け1902年に卒業している。1908年女子学習院で助教授として奉職のち教授となり、亡くなるまで34年間にわたって教鞭をとり続けた。

1912年、旧白馬会の主力メンバーであった、中沢弘光、岡野栄、山本森之助、三宅克己、小林鐘吉、跡見泰、杉浦非水の7名が発起人となり光風会を創立。

1912年6月の「第一回光風会展」では会員の他に黒田清輝、藤島武二、岡田三郎助、藤田嗣二ら旧白馬会の会員ら多くの人が出品した。同年から1914年の間、岡鬼太郎田山花袋の作品及び春陽堂雑誌新小説』において木版口絵を描いている。光風会展に「横顔」や「午前」などを出品している。

1916年、光風会事務所を東京市赤坂区青山南町3丁目の岡野栄宅に移す。1925年1927年宮内省在外研究生としてフランス及びイタリアに留学をした。

美術教育者として初学者向けに「学校家庭萬有図画全集と其の描き方」(1929年)や「実習教材 略図の描き方」(1935年)などの教材を出版したほか、挿絵や口絵、装幀などの仕事も数多くこなした。

小林鐘吉や杉浦非水らと分担執筆した巌谷小波の「日本一の画噺」シリーズなどが知られている。

代表作に「雨後の桜」(東京芸術大学蔵)、「海辺の牛」(青山善光寺蔵)などがある。

1942年3月21日、糖尿病のため赤坂の自宅で死去[1]

作品

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  • 「江戸紫」口絵 岡鬼太郎作 鈴木書店版 1912年
  • 「朝」口絵 田山花袋作 春陽堂版
  • 「春さめ」口絵 『新小説』第18年3巻 1913年
  • 「展覧会」口絵 『新小説』第19年11巻 1914年

脚注

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参考文献

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  • 日外アソシエーツ編 『20世紀日本人名事典』 日外アソシエーツ、2004年
  • 山田奈々子 『木版口絵総覧』 文生書院、2005年

外部リンク

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