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岩倉槇子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

岩倉 槇子(いわくら まきこ、旧姓:野口槇子、文政10年(1827年) - 明治36年(1903年2月23日)は、岩倉具視の継室。

膳所藩の勘定組・野口為五郎賀代の次女として膳所(現滋賀県大津市)に生まれる。兄の賀柔が岩倉具視に仕えていたことから、兄は身辺警護を、自身は身の回りの世話をするようになる。岩倉が志士に追われていた時は膳所の実家に匿うなど、不遇の時代を通じて仕える。明治7年(1874年)、具視の正室が逝去したのち継室となり、二男三女をもうける。長男の岩倉具定の直系の孫が小桜葉子(岩倉具子)で、その息子で俳優の加山雄三は玄孫にあたる。

子孫

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墓所

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  • 曹洞宗補陀落山海晏寺(品川区南品川5-16-22)。境内には松平春嶽の墓所もある。
  • 光源寺 - 大津市中庄にある真宗仏光寺派の寺院。岩倉家が建てた野口家累代の墓に分骨が合葬されている。