岩元信兵衛
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岩元 信兵衛(信兵衞、いわもと しんべえ、1864年 12月13日(元治元年11月15日[1])- 1917年(大正6年)4月14日[2])は、日本の実業家、政治家。山形屋第5代[3]、衆議院議員、貴族院多額納税者議員。
経歴
[編集]薩摩国鹿児島郡鹿児島城下下町叶(現鹿児島県鹿児島市金生町)で、呉服商・岩元善兵衛の長男として生まれる[1][4][5]。幼少期は亡母の実家、新町の回船業・川井田家で過ごし、漢学を修めた[4][6]。1892年(明治25年)に家督を相続した[1]。
明治維新後、没落した御用商人に代わる新興勢力の中心人物となる[4][5]。1886年(明治19年)地元の実業家と南島興産社を設立し、大阪の豪商阿部彦太郎と奄美諸島の砂糖貿易の利益独占を競った[3][4]。また、第百四十七銀行(現鹿児島銀行)、鹿児島貯蓄銀行、鹿児島実業新聞社の創立に参画した[1][4][5]。また家業の山形屋デパートの基礎を確立し、1916年(大正5年)関西以西で随一の規模の近代的百貨店を建設した[3][4][5]。
政界では、鹿児島市会議員、同区会議員に選出された[1][2]。1902年(明治35年)8月、第7回衆議院議員総選挙で鹿児島市から出馬して当選[6]。以後、第9回総選挙まで当選し、立憲政友会に所属して衆議院議員を連続3期務めた[4][5][6]。また、1909年(明治42年)5月5日に貴族院多額納税者議員に任じられ[7]、1911年(明治44年)9月28日まで1期在任した[2]。
親族
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 菊地浩之『47都道府県別 日本の地方財閥』平凡社〈平凡社新書〉、2014年。
- 鹿児島県姓氏家系大辞典編纂委員会編著『鹿児島県姓氏家系大辞典』角川日本姓氏歴史人物大辞典46、角川書店、1994年。
- 『議会制度百年史 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『鹿児島大百科事典』南日本新聞社、1981年。
- 成瀬麟、土屋周太郎編『大日本人物誌 : 一名・現代人名辞書』八紘社、1913年。