コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

岩元信兵衛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
岩元信兵衛

岩元 信兵衛(信兵衞、いわもと しんべえ、1864年 12月13日(元治元年11月15日[1])- 1917年大正6年)4月14日[2])は、日本の実業家政治家山形屋第5代[3]衆議院議員貴族院多額納税者議員

経歴

[編集]

薩摩国鹿児島郡鹿児島城下下町叶(現鹿児島県鹿児島市金生町)で、呉服商・岩元善兵衛の長男として生まれる[1][4][5]。幼少期は亡母の実家、新町の回船業・川井田家で過ごし、漢学を修めた[4][6]。1892年(明治25年)に家督を相続した[1]

明治維新後、没落した御用商人に代わる新興勢力の中心人物となる[4][5]。1886年(明治19年)地元の実業家と南島興産社を設立し、大阪の豪商阿部彦太郎奄美諸島の砂糖貿易の利益独占を競った[3][4]。また、第百四十七銀行(現鹿児島銀行)、鹿児島貯蓄銀行、鹿児島実業新聞社の創立に参画した[1][4][5]。また家業の山形屋デパートの基礎を確立し、1916年(大正5年)関西以西で随一の規模の近代的百貨店を建設した[3][4][5]

政界では、鹿児島市会議員、同区会議員に選出された[1][2]。1902年(明治35年)8月、第7回衆議院議員総選挙で鹿児島市から出馬して当選[6]。以後、第9回総選挙まで当選し、立憲政友会に所属して衆議院議員を連続3期務めた[4][5][6]。また、1909年(明治42年)5月5日に貴族院多額納税者議員に任じられ[7]、1911年(明治44年)9月28日まで1期在任した[2]

親族

[編集]
  • 甥・養嗣子 岩元達一(山形屋会長、貴族院多額納税者議員)[4]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e 『大日本人物誌』い之部177頁。
  2. ^ a b c 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』188頁。
  3. ^ a b c 『47都道府県別 日本の地方財閥』244-245頁。
  4. ^ a b c d e f g h 『鹿児島大百科事典』91-92頁。
  5. ^ a b c d e 『鹿児島県姓氏家系大辞典』337頁。
  6. ^ a b c 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』82頁。
  7. ^ 『官報』第7756号、明治42年5月6日。

参考文献

[編集]
  • 菊地浩之『47都道府県別 日本の地方財閥』平凡社〈平凡社新書〉、2014年。
  • 鹿児島県姓氏家系大辞典編纂委員会編著『鹿児島県姓氏家系大辞典』角川日本姓氏歴史人物大辞典46、角川書店、1994年。
  • 『議会制度百年史 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『鹿児島大百科事典』南日本新聞社、1981年。
  • 成瀬麟、土屋周太郎編『大日本人物誌 : 一名・現代人名辞書』八紘社、1913年。