岩岡次郎
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岩岡 次郎(いわおか じろう、1905年 - 1991年)は、日本の自動車技術者。トヨタ自動車工業の製造部長などを経て、アイシン精機の初代社長や会長を務めた。藍綬褒章受章。自動車部品製造事業を確立した。
人物・経歴
[編集]福岡県出身[1]。1927年東京高等工業学校(のちの東京科学大学)機械科卒業[2]、豊田自動織機製作所入社[3]。豊田喜一郎の紹介により1934年から東北帝国大学に国内留学して成瀬政男に師事し[4]、紡織機製造の傍らで自動車試作などに従事した[5]。その後自動車量産化のため、菅隆俊のもと、豊田英二、齋藤尚一と豊田自動織機製作所挙母工場(のちのトヨタ自動車本社工場)の建設構想にあたった[6]。トヨタ自動車工業設立後は同社製造部長に就任。同社航空機部長、東海飛行機取締役を経て、1954年から1966年まで愛知工業社長及び後身のアイシン精機社長。アイシン精機会長[3][7]、日本ミシン協会会長等も歴任した[8]。1965年藍綬褒章受章[9]。トヨタグループの部品製造事業を確立した[10]。
脚注
[編集]- ^ 京高等工業学校一覧 昭和2至3年
- ^ 木本正次『トヨタの経営精神: 豊田佐吉から昭和の歴代経営者まで、「挑戦の軌跡」に学ぶ』137頁
- ^ a b 石井耕「戦後日本の機械大企業における長期政権」『經濟學研究』第59巻第3号、北海道大学大学院経済学研究科、2009年、1-12頁、hdl:2115/40115、ISSN 04516265、CRID 1050564288955717376。
- ^ 第3節 基礎技術の研究・開発 第4項 機械加工法、工作機械の研究・開発トヨタ自動車75年史
- ^ [第4節 豊田自動織機製作所の設立 第4項 精紡機の開発と自動車の研究に着手 第4節 豊田自動織機製作所の設立 第4項 精紡機の開発と自動車の研究に着手]トヨタ自動車75年史
- ^ 量産へ一歩前進-日本初の乗用車一貫製造工場が完成-トヨタ産業技術記念館
- ^ 第4節 豊田自動織機製作所の設立 第4項 精紡機の開発と自動車の研究に着手トヨタ自動車75年史
- ^ 新日本経済 32(2)
- ^ 官報昭和40年本紙第11518号 5頁
- ^ ■岩岡次郎(1905~1991)トヨタ産業技術記念館
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