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岩永 玄浩(いわなが げんこう、生没年不詳)は江戸時代中期の本草学者であり医師。名は元浩とも。同じく本草学者の太田澄元の父である。
江戸深川松代町の町医で、松岡恕庵を師として本草学を学び、享保19年(1734年)頃に和人参を栽培した。元文元年には詩経等に出典されている動植物名を考察した「名物訳録」を編纂した。