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岩田又兵衛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

岩田 又兵衛[1](いわた またべえ、1882年明治15年)4月[2] - 没年不明)は、日本商人皮革[3][4]太鼓[5]、太鼓又商店[6]質商[7][8])、資産家[8]家主[2][9][10][11][12]。族籍は大阪府平民[13]

人物

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大阪府人・岩田佐十郎の長男[11][12][13]1894年家督を相続する[11][12][13]。太鼓製造業を営む[6]。西浜部落中第一の旧家で、「太鼓又」としてその名が高い[1]。宗教は真宗[2]。住所は大阪市浪速区西浜南通1丁目[2][8][13]。大阪市浪速区浪速東3丁目の浪速玉姫公園は「太鼓屋又兵衛」の屋敷があった場所である[14]

家族

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岩田家

脚注

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  1. ^ a b 『部落の人豪』114頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年4月20日閲覧。
  2. ^ a b c d e 『人事興信録 第13版 上』イ270頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年4月20日閲覧。
  3. ^ 『日本紳士録 第7版』大阪い之部23頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年4月20日閲覧。
  4. ^ 『大大阪営業大観』1547頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年4月20日閲覧。
  5. ^ 『日本紳士録 第9版』大阪い之部11頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年5月26日閲覧。
  6. ^ a b 『大阪人士商工銘鑑』楽器295頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年4月20日閲覧。
  7. ^ 『日本紳士録 第8版』大阪い之部9頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年4月20日閲覧。
  8. ^ a b c 『資産家国の光 京都府下・大阪府下・兵庫県下 大正9年3月調査』22頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月27日閲覧。
  9. ^ 『日本紳士録 第35版』大阪イの部36頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年4月20日閲覧。
  10. ^ 『日本紳士録 第26版』大阪い之部13頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年4月20日閲覧。
  11. ^ a b c d 『人事興信録 第9版』イ278頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年4月20日閲覧。
  12. ^ a b c d 『人事興信録 第10版 上』イ314 - 315頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年4月20日閲覧。
  13. ^ a b c d e 『人事興信録 第7版』い99頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年4月20日閲覧。
  14. ^ 浪速玉姫公園 大阪人権スポット。大阪同和・人権問題企業連絡会サイト。
  15. ^ 『官報 1921年02月05日』官報 第2552号 133頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年4月20日閲覧。

参考文献

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  • 日本紳士録 第7版』交詢社、1901年。
  • 『日本紳士録 第8版』交詢社、1902年。
  • 『日本紳士録 第9版』交詢社、1903年。
  • 芝弥一郎編『大阪人士商工銘鑑』大阪人士商工銘鑑発行所、1902年。
  • 蘇人寺田勇吉『部落の人豪』藤屋商店出版部、1920年。
  • 高木長蔵編『資産家国の光 京都府下・大阪府下・兵庫県下 大正9年3月調査』高木長蔵、1920年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第26版』交詢社、1921年。
  • 大蔵省印刷局編『官報 1921年02月05日』日本マイクロ写真、1921年。
  • 藤田博一編『大大阪営業大観』大大阪営業調査会、1924年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第35版』交詢社、1931年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第10版 上』人事興信所、1934年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第13版 上』人事興信所、1941年。