岩田又兵衛
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岩田 又兵衛[1](いわた またべえ、1882年(明治15年)4月[2] - 没年不明)は、日本の商人(皮革商[3][4]、太鼓商[5]、太鼓又商店[6]、質商[7][8])、資産家[8]、家主[2][9][10][11][12]。族籍は大阪府平民[13]。
人物
[編集]大阪府人・岩田佐十郎の長男[11][12][13]。1894年、家督を相続する[11][12][13]。太鼓製造業を営む[6]。西浜部落中第一の旧家で、「太鼓又」としてその名が高い[1]。宗教は真宗[2]。住所は大阪市浪速区西浜南通1丁目[2][8][13]。大阪市浪速区浪速東3丁目の浪速玉姫公園は「太鼓屋又兵衛」の屋敷があった場所である[14]。
家族
[編集]- 岩田家
脚注
[編集]- ^ a b 『部落の人豪』114頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年4月20日閲覧。
- ^ a b c d e 『人事興信録 第13版 上』イ270頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年4月20日閲覧。
- ^ 『日本紳士録 第7版』大阪い之部23頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年4月20日閲覧。
- ^ 『大大阪営業大観』1547頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年4月20日閲覧。
- ^ 『日本紳士録 第9版』大阪い之部11頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年5月26日閲覧。
- ^ a b 『大阪人士商工銘鑑』楽器295頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年4月20日閲覧。
- ^ 『日本紳士録 第8版』大阪い之部9頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年4月20日閲覧。
- ^ a b c 『資産家国の光 京都府下・大阪府下・兵庫県下 大正9年3月調査』22頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月27日閲覧。
- ^ 『日本紳士録 第35版』大阪イの部36頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年4月20日閲覧。
- ^ 『日本紳士録 第26版』大阪い之部13頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年4月20日閲覧。
- ^ a b c d 『人事興信録 第9版』イ278頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年4月20日閲覧。
- ^ a b c d 『人事興信録 第10版 上』イ314 - 315頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年4月20日閲覧。
- ^ a b c d e 『人事興信録 第7版』い99頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年4月20日閲覧。
- ^ 浪速玉姫公園 大阪人権スポット。大阪同和・人権問題企業連絡会サイト。
- ^ 『官報 1921年02月05日』官報 第2552号 133頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年4月20日閲覧。
参考文献
[編集]- 『日本紳士録 第7版』交詢社、1901年。
- 『日本紳士録 第8版』交詢社、1902年。
- 『日本紳士録 第9版』交詢社、1903年。
- 芝弥一郎編『大阪人士商工銘鑑』大阪人士商工銘鑑発行所、1902年。
- 蘇人寺田勇吉『部落の人豪』藤屋商店出版部、1920年。
- 高木長蔵編『資産家国の光 京都府下・大阪府下・兵庫県下 大正9年3月調査』高木長蔵、1920年。
- 交詢社編『日本紳士録 第26版』交詢社、1921年。
- 大蔵省印刷局編『官報 1921年02月05日』日本マイクロ写真、1921年。
- 藤田博一編『大大阪営業大観』大大阪営業調査会、1924年。
- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
- 交詢社編『日本紳士録 第35版』交詢社、1931年。
- 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
- 人事興信所編『人事興信録 第10版 上』人事興信所、1934年。
- 人事興信所編『人事興信録 第13版 上』人事興信所、1941年。