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岩田庄一郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

岩田 庄一郎[1][2][3](いわた しょういちろう、1878年明治11年)5月[4] - 没年不明)は、日本商人皮革商)[5]資産家名望家[6]地主家主[7]。浪速区衛生組合連合会長[4]。栄衛生組合長[4]。栄第一学校保護者会[4]。大阪市衛生組合連合会評議員[4]。大阪市教化委員[4]。浪速区防護団顧問[4]

経歴

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大阪市浪速区西浜南通3丁目に生まれる[4]。青年会の創設に奔走する[4]1903年、連合区会議員に当選する[3][4]。衛生事業に尽瘁する[4]。衛生法案の制定運動に努力する[4]

三好伊平次、中野三憲、岡本弥、岩田庄一郎らは被差別部落民の全国的組織結成を計画し、1903年7月に「大日本同胞融和会」を発足させる[8]

人物

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衛生界の権威である[4]。西浜部落の第一流の富豪である[1]

趣味は演芸[3]。住所は大阪市浪速区西浜南通3丁目[3][4]

脚注

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  1. ^ a b 『部落の人豪』118頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年4月22日閲覧。
  2. ^ 『大日本紳士鑑』大阪府西成郡265頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年7月15日閲覧。
  3. ^ a b c d 『大阪の公人 附・聯合区制の小史』1010 - 1011頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年5月25日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『大阪府市名誉職大鑑 第2編』106頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年4月22日閲覧。
  5. ^ 『日本紳士録 第31版』大阪イ之部55頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年6月12日閲覧。
  6. ^ 『帝国名望家大全』110頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年6月16日閲覧。
  7. ^ 『日本紳士録 第26版』大阪い之部13頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年4月22日閲覧。
  8. ^ 『矢田部落の歴史』151 - 152頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年5月25日閲覧。

参考文献

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  • 妹尾久造編『大日本紳士鑑』経済会、1895年。
  • 吉野民司編『帝国名望家大全』吉野民司、1895年。
  • 山本桃洲編『大阪の公人 附・聯合区制の小史』大阪の公人刊行事務所、1916年。
  • 蘇人寺田勇吉『部落の人豪』藤屋商店出版部、1920年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第26版』交詢社、1921年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第31版』交詢社、1927年。
  • 自治名誉職協会編『大阪府市名誉職大鑑 第2編』自治名誉職協会、1935年。
  • 矢田部落史研究会編『矢田部落の歴史』矢田同和教育推進協議会、1978年。