岩田徳三郎
岩田 徳三郎(いわたとくさぶろう、1901年2月18日[1] - ?)は、日本の射撃競技(クレー射撃)選手。1956年メルボルンオリンピックにクレー・ピジョン(トラップ)種目で出場。クレー射撃でオリンピックに参加した最初の日本選手の一人。また、1954年アジア競技大会(マニラ)ではトラップ種目で銀メダルを獲得している。
経歴
[編集]法政大学卒業[2]。17歳から狩猟をはじめたという[3][注釈 1]。スポーツとしての射撃に魅せられたのは戦後といい[3]、1952年(昭和27年)の国体でトラップ個人および団体で優勝[4]。1953年(昭和28年)は公式戦においてはじめてスキートで100点満点を出した[4]。1954年(昭和29年)のアジア競技大会(マニラ)ではトラップで銀メダル[5][4]。1954年(昭和29年)、第36回世界射撃選手権大会(カラカス)に出場、トラップ個人16位[4][注釈 2]。
1956年メルボルンオリンピック予選会ではトラップで197点(200点満点)の日本記録で予選を突破[4]。クレー射撃でオリンピックに出場した初めての日本選手の一人である[4](オリンピック出場時の所属は川徳商店。もう一人は許斐氏利)。オリンピック本戦では155点(200点満点)で22位[4][注釈 3]。風速10m以上という強風という悪コンディションであったが、金メダリストのガリアーノ・ロッシーニがまったく動揺せずに195点をたたき出したことに驚嘆するとともに格差を思い知らされ、悔しい思いをしたとのちに述べている[4]。1957年、国際射撃連盟より世界射撃功労賞を受賞[4]。
1989年の時点では、緑内障で左目の視力を失いながら、「現役最長老」(87歳)のシューターとして活動していた[4][3]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b “Tokusaburo Iwata”. Sports Reference LLC. 2020年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月1日閲覧。
- ^ 束原文郎 2013, p. 266.
- ^ a b c d 「編集後記」『ザ Shooting』第24号、日本猟用資材工業会・銃砲スポーツ振興会、1989年2月、12頁、2021年5月2日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l 「人物クローズアップ 日本最初のオリンピッククレー射撃選手 岩田徳三郎氏」『ザ Shooting』第20号、日本猟用資材工業会・銃砲スポーツ振興会、1988年3月、8頁、2021年5月2日閲覧。
- ^ a b c “Results”. ISSF. 2021年5月1日閲覧。
参考文献
[編集]- 束原文郎「1912年〜2008年夏季オリンピック日本代表選手団に関する資料:所属組織と最終学歴を中心に」『スポーツ科学研究』第10巻、早稲田大学スポーツ科学学術院、2013年、2021年5月1日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- Tokasaburo IWATA - 国際射撃連盟 (ISSF)
- オリンピック日本代表選手団記録検索:「岩田、徳三郎」の検索結果 - 日本オリンピック委員会 (JOC)