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岩田恒

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
岩田 恒
生誕 1870年7月6日
金沢藩
死没 (1957-12-13) 1957年12月13日(87歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1892年 - 1921年
最終階級 陸軍少将
除隊後 旭川市長
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官選初代 北海道旭川市長
在任期間 1923年6月 - 1928年10月
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岩田 恒(いわた ひさし、1870年7月6日明治3年6月8日[1] - 1957年昭和32年)12月13日[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。位階勲等功級は従四位勲三等功五級[3]旭川市[3]

経歴・人物

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石川県士族・岩田易安の次男[3]1892年(明治25年)陸軍士官学校第3期卒業[2][4]

日露戦争に従軍後、1915年(大正4年)8月に甲府連隊区司令官、1916年(大正5年)11月に陸軍歩兵大佐1919年(大正8年)8月に歩兵第27連隊長、1921年(大正10年)6月に陸軍少将に昇進と同時に待命、同年10月に予備役に編入した[2][3][4]。退官後は旭川市長となった[3]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[5]

著作

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  • 『大正七年度ヲ主トスル徴兵検査成績及同附録』甲府聯隊区司令部、1919年。
  • 『空襲と都市防空』大阪市教育部、1937年。

栄典

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脚注

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  1. ^ 『人事興信録』第5版、い104頁
  2. ^ a b c 『日本陸軍将官辞典』110頁。
  3. ^ a b c d e 『人事興信録』第8版、イ244頁
  4. ^ a b 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』105頁。
  5. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」37頁。
  6. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

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  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 人事興信所編『人事興信録』第5版、人事興信所、1918年。
  • 人事興信所編『人事興信録』第8版、人事興信所、1928年。